月刊ブラック

ただの備忘録+αです

私は生まれ変わったら柴犬になりたい(それから、私のここ一年の結構くらい話)

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 朝飯を食う時間が無くて研究室で一人カップ麺を食っている。食べきったと思ったが、ふと、机に取りこぼした長い麺を見つけたのでスープの中に入れて改めて啜った。自分でもひどく意地汚いと思った。

 

 


■ここ一年間の月山馨瑞のあらすじ

 ツイッターでもごちゃごちゃ言っていたが、そういう断片的な情報を集めた、ここ一年あたりの私の近況を箇条書きする。

 

・ブラック研究室に入ったパワハラなど)。
・二次配属(ゼミに遅れて入ってくる成績の悪い人達)だったので引き継ぎを全く受けられないまま、実験に入った。
・ブラック研究室に拘束されながら就活突入。要求量が高いので就活が上手くいかない。
・仕事を見つけなければいけないプレッシャーと、研究室の現実とで板挟みになり、精神を壊す。
鬱病希死念慮がひどくなる。
・6月初旬精神科通院開始。
・二人だけ馴染みのある人がいたが、その仲間がどんどん辞めていく。
・9月まで就活がまともにできない。
・9月初旬でキレて研究室を出る。一ヶ月間就活をしまくった結果9月末に内定取得。
・大学生課など様々な所に相談したが、研究室を辞める事はできないとの事。仕方なく10月末復帰
・快復していた鬱病がひどくなりながらも、研究室に通い続ける。
・今に至る。

 


以下、自他ともに私の事を振り返るため、ある程度文章を書いていこうと思う。


主に研究室関連の話なので省きましたが、『とある女性にゾッコンになるが、相手はその気でなく、最終的には彼女を傷つけて連絡不通となる』というストーカー的な事もやっていたのですが、取り敢えずここでは……置いておきます……

 


■研究者という人間はひどく特殊だ。
 

 何故私が、研究室を失敗してしまったのか、それがいつから始まったのか、実の所説明するのはとても難しい。ただ、誰が悪いだとか、環境が悪いだとか、そういう一つずつの小さな要因が、幾多にも絡み合って最悪の現状を作り出してしまったのだと思う。だから、取り敢えずは、私という一つの視点から見て、物事を一つずつ追っていき、その度に検証していくのがまずは手っ取り早い方法だと考えられる。


(こういう事を書くと身バレをするけれど、私はそういった物事に関心が無いのでこのまま進める)私の研究室は、修士生が一人しかいない状況だった。つまり指導・アドバイスしてくれる人がほとんどいなかったのだ(教授は指導しない)。

 

 少なくとも私は、遅くから研究室に配属されたから文字通りそこからのスタートであった。たった1人のM2も口下手だったし、そもそも私の研究グループに属していなかった。ノウハウの継承が行われない。情報がどこに保存されているかも分からない。何をすればいいかすらも分からない。まず、どこに資料があるかさえ分からない(無論他のB4生も頼りにはならん)。


 理由その1『全て一人で行わなければならなかった』

 

 さて、この大学は小さいので准教授とか助手とかそういう人間は存在しない。研究室を監査するのはたった1人の教授だ。そして教授になろうとする人間は大抵、コミュニケーション能力ならびに社会的能力が大幅に低い、あるいは偏っているのが多い。


 私の上司にあたるこの教授は、とても特殊な男だった。どう特殊かというと、

 

・頑固な団塊世代
・基本的に話しかけると嫌な顔をする
・基本的に要求量が多い
パワハラ
・雑談が政治の話しかできない
・就活をさせない
・普段は教育に不熱心(なおゼミの時間は質疑応答にとても長い時間を取るので、カウンセラーからは「教育熱心な先生」と思われているようだが、それなら定期的に実験の様子を見たりだとかすべきだと思う)
・典型的な研究者タイプ

 

 この『研究者タイプ』というのがクセものである。長くなるのでこれについてはまた今度の機会に書くが、この『研究者タイプ』の人間が私はとても不得意であった。無論唯一の古株だったM2も、この研究者タイプである。
 

 端的に言って理由その2『人が合わない』

 

 その他、コアタイムが一般会社のそれとほぼ変わらない事、B4の人間関係構築の崩壊によってコアタイム中誰も喋らない事、研究がクソつまらんなど、様々な要因によって『環境が悪い』研究室となってしまった。これが理由3。

 

 


■大学はもはや研究機関として崩壊している。

 20世紀から21世紀にかけて大学は数を増やし、またその形態を変えていった。
 

 端的に言えば大学は研究機関としての機能を一部失いつつある。

 崩壊していると言ったほうが正しい。
 

 教育論については専門外であるが、恥を忍んで論じる。元来大学というのは文理関わらず研究機関であった(はずだ)。入学した大学生はより高等教育、あるいは専門教育を受け、中卒者高卒者よりも高い専門性を得る事となる。特に理系学生は教授の元で、修士過程・博士過程に進み、より優れた研究者へとなる。


 つまり過去の大学では、大学生は『勉強/研究する為』に入学し、その専門分野の技術で(企業・大学に)従事するのである。


 だが日本という国が富むようになり、また技術発展による科学分野の細分化によって、大学進学率は増加していく事になる。

 

 この時社会と大学との関係に綻びが生まれた。

 

 専門性を持つ大学生が増加し人材として社会に供給されるが、社会の企業とその専門性は必ずしもマッチしない。深く狭い知識を持った大学生が多くなったからだ。

 対して企業というのは水処理からコンピュータまで千差万別だから、当然噛みあう事は難しい。


 大学への若者の供給は多くなる。だが大学の研究に人はたくさんいらない。
 結果、企業就職を選ぶ学生が多くなる。
 当然、企業側としても大学新卒採用率が高くなる。
 その結果起きたのが『大学のアミューズメント化』である。――大学は研究機関から最早『就職予備校』へと変化してしまったわけだ。


 研究室にいるのは研究に人生を費やした初老の団塊世代
 対してやってくるのは研究をするのに必ずしも向いていない、様々な思想・目標を持った学生達。無論、彼らのほとんどは学士で卒業する。専門分野に就ける人間はわずかだ。


 大抵の場合、何年も続いている研究テーマを教授は学生に引継がせるものだ。しかし無論、研究にモチベーションのない学士では、その研究を大幅に進める事は困難である。

 

 ある研究室の、数年間の研究進捗は学士卒がいればいるほど悪くなっていくはずだ。

 知識を持ってじっくり研究を進めるベテランがいないからである。


 つまりここで綻びが生じてくる。大学は研究機関であったはずなのに研究の効率は悪くなっているのだ。


 これにはまた様々な理由(教授が授業を受け持っていて研究に集中できない、など)があるのだが、(不勉強だし)取り敢えずここで終わらせて、私の話に戻りたい。


ダブルバインド

 

 自分のしたくない事をする。

 自分の合わない人と生きる。

 これは結構しんどい事だと思う。こういう環境で働いてる人はすぐにその会社を辞めたほうがいいですよ、人生の無駄なので)
 

 

 だが私の場合辞められなかった。私には既に500万円をやすやすと越える入学・授業費を支払っていたし、それを無為にして中退する事は出来なかった。仕事に就いて、家を出る必要もあった。

 

 その為就活をしなければならなくなったが、研究室ではタスクの要求量が大きく、就活は上手く回らなくなってしまった。私は元来、人に怒られたくない、失望されたくないというタイプの人間だったから、性格の合わない教授に認められようと、当初は努力していた。ただでさえ、遅れて入ったのだから。


 だが苦しい。

 

・研究室で努力しなければならない。(大学を卒業しなければならない)。
・就活を早く終わらせて仕事を決めなければならない。
・合わない人とやっていくのはとても苦しくて、厳しい。


 こういった矛盾する命令を心の中に両方共抱き続ける事を心理学的な用語で『ダブルバインド』という。


 こういった精神状態に陥った結果、元来鬱気質だった私は精神科に通院する事となった。

 

 

■就活は、生きがいを感じた。

 それから様々あった後、私は耐え切れなくなり、教授と絶縁する事に決めた。もう顔も見たくないという状態になった。研究室から出て行ったのは9月の初め。それから一切顔を見せなくなった。

 

 研究は苦痛の極みだった。教授は学生を評価しないし、内容は私の興味の無い事だったし、実験も単調でつまらないし、何より打ち止めになっていたのだ。研究はこれ以上進まない、どうしようもないという所になっていて、私はその最後のくだらない検証をするのみだった。だからやりがいも感じないし、何故こんな苦しい思いをタダでしているのか理不尽しか感じなかった。


 しかし、就活は楽しかった。
 とても苦しかったし当時は追い詰められて焦燥感でいっぱいだったが、しかし生きがいは感じていた。説明会なり面接なり、ES作製なり業界研究なり、その行為は完全に私の為にされていた事だった。その時私は、人のためではない、自分のために生きる事が出来た。


 色んな人との出会いがあったし、もう研究室にはいかなくていいという希望もあった。教授に、研究室のメンバーに会わなくていいという気持ちだけで、もう十分だった。自分のために生きるのはとても楽しいと思った。

 内定式直前に私はとある会社に内定をいただき、無事10月を迎える事ができた。

 


 そして、ここから真の地獄が始まる。

 


■大学はムラ集合体/大学にセーフティネットは無い


 内定を決めた私は取り敢えずカウンセリングに訪問した。
 理由は研究室の変更をし、指導教員を変更してもらう方法を伺うためである。

 
 結論から言うとカウンセラーはゴミだった。
 私の話した内容は以下の通りである。

 

「私はもうあの教授と一緒にやっていくのは無理だし、パワハラは他の学生にもされている。何より既に二人研究室から学生が辞め、休学しているのがその証拠だ。内密に行われた事だが、指導教員の変更は実際に行われたという話もあるし、卒論免除だって可能だ。何故なら私は精神科に通院しているし、何なら診断書だって提出できるのだから。そういう事をするのにはどうすればいいのか、貴方を通せばいいのか、あるいは別の機関に話を通す必要があるのか。どちらにせよ、私はあの教授の元につくのは耐えられない」

 


 それに対しカウンセラーは以下の一点張りであった。

 

「そう言った話を私は聞いた事がない。大学というのは、然るべき卒業認定を取らなければ卒業できないし、そこに例外は無いはずだ。だから頑張って教授とやっていくしかない。教授には私から助言をするが、強制力はない。話を聞けば彼は教育熱心な人だと思うし、上手くやっていけるはずだ。パワハラの相談室なら紹介する事ができるが、しかし卒業認定は取らなければいけないし指導教員を変える事も出来ない。そういった前例は存在しないからだ」

 

 カウンセラーは私を頑なに研究に従事させたがっているようであった。おそらくは自分自身の職業的な立場もあるのだろう、私を頑なに説得しようとしていた  
 

 

 私は絶望した。
 正直ほんとうに目の前が真っ暗になった。


 私は被害者意識を持っていた。ある種、私は教授らに精神を壊され、精神科に通院している身だし、何より私(の親)は教育費を払っているのだ。多少の権利の主張くらい許されているものだと思っていた。だが、駄目だったのだと思う。色々と……


 「」内で私は一切嘘をついていない。全て過去に起きた出来事である。だがそれは物的証拠によって示されなければいけないし、もしそれがあったとしても、私は卒業認定を軽くする事すら適わなかっただろう。それはある種、当然の事だった。

 

 私の甘えでもあったのだと思う


 だが私は、教育機関にしては研究室はあまりにも不透明すぎる、と主張したい。


 本当に大学が教育機関なのであれば、卒業研究というのは指導教員のさじ加減ではなく客観的な規範に沿って行われなければいけない。

 

 また、本当に大学が研究機関なのであれば、就職コースと研究コースをそれぞれ設けてゼミナールを分ける必要があるだろう。(実際、入学してから一年ほど理科系の基礎を学んで、それから機械系、化学系とコースを決める学部が北大などに存在する)。

 
 ここ一年程様々な研究室や大学の様子を見て感じた事は、研究室はそれぞれ小さなムラ社会である、という事である。村長(教授)が全てを決め、彼のさじ加減で成績が決まる。それがどんなに非社会的であっても、それを監視する機関は存在しないし、学生の我々は何にも反駁する事が出来ない。何故ならそこは閉ざされたムラなのだから。

 

 さらにはムラ同士が(つまり教授同士が)閉ざされたコミュニテイを持っているから、学科自体の運営も閉ざされた、風通しの悪いものとなる。

 

 

■身体が壊れた。

 

 私は研究室に復帰した。

 ただただ従うのみであった。

 

 幸い、教授の態度は軟和した。
 カウンセラーから私の現在の状況(精神科通院など)、タスクを減らしてほしいとの要望が伝えられた為である。

 

 これからは研究をして卒業論文を書かなければいけないのだ、と私は思うようになった。


 だが、研究室に通うのは辛かった。
 何がストレス要因になっているのか分からないのが一番辛かった。
 交友関係もある程度は構築できている。人間関係は悪くない。
 しかし研究室に一日中いるのはとても苦しかった。時間がひどく長く感じた。


 あんまりにもストレスを感じたので身体が壊れた。
 顔面の筋肉が痙攣するのは前からあった。
 だが、大学にいると時折身体の痙攣が始まるようになった。
 全身の筋肉がびくびくと痙攣を起こし、ひどい時は手の震えで感覚が無くなるようになった。


 これは堪えた。やろうと思っているのに身体が動かなくなるのだ。


 本当に私は壊れてしまったのだと思った。


 しかし頭を壊され、身体も壊された環境に今も向かい続けなければならないというのはお笑い種である。

 


■生きがいが見つからない。


 こうして、今に至る。
 これが私の3月から12月までの報告である。
 本当に、一年で何もかも変わってしまったと思う。


 こう言ってしまうと何だが、幸い身体の痙攣は、最近無くなってきた。薬によってある程度緩和する事も出来る。だが途方もない疲労感や無力感、強いイライラはひどくなったりひどくならなかったりしている。よくわからない。


 一番苦しいのはこういう事に理解者がいないという事である。私のような人間で、私と同じようにこういったブラック研究室に入った人間は、友人に誰1人も居ない。本当に、誰1人も居ないのだ。似たような環境の人はいて、ある程度みんな研究室に不満を持ってはいるが、しかし基本的に楽しくやっている。

 

 また、私の家族は大学のゼミナールそのものに理解が無く、私の愚痴や悩みというのを理解しようとはしない。


 そういう意味では、私の所属する研究室は偶然、ある種奇跡的に生まれてしまったブラック研究室なのだと思う。

 

 また研究室が多種多様だからこそこの大学ではセーフティネットも育たなかったのかもしれない。


 最近はひどく空虚で厭世的に生きている。何のために生きてるのか分からない。
 小説や漫画の話をとある所から貰ったので、それを作っている時は、人生の事を忘れられて楽しい。しかしそれもまた、苦しくなってきた。結局のところ私は何も書けないのだという無力感がずっと蔓延している。抗鬱剤は飲んでいるし動けないという事は無いのだ。だからこれはそれとは別の症状だと思う。これだけは何とも耐え難い。


 それで、今日考えていたのは、私は『怒り』を燃料にして生きる必要がある、という事だ。怒りを使って、あるいはそれ自体を描いて、文章なりを作っていく必要があると思う。というよりは、そうしなければ私はもう死んでしまうと思う。


 こういう文章は需要が無いし、今までは書くつもりもアップロードするつもりも無かったのですが、そういうわけで自分が生きるために載せようと思います。こういうのを読んで、共感などをしてくれる人が一人でもいたら、それでいいと思うのです。もちろん、いなくてもいいです。