月刊ブラック

備忘録+α twi:@dolly1004

就活をしていて感じる「巨大なものに飲み込まれる感覚」

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東京ビッグサイトに集まる大量の人! 人! 人!

 マ〇ナビやキャ〇タスなどといった新卒コンサルは、早くは12月から、東京ビッグサイトなどでイベントを開催している。所謂就活イベントというものである。

パーティションでブースを区切り何十社らが、純朴な大学生らに、自身の会社を「宣伝」する。そういう、イベント。

 

 所謂「合同説明会」というものである。

 

私は都内住みの就活生(19卒生)だ。私は2月のいつか、そういった某「超大規模な合同説明会」に初めて参加した。

 

12時頃、だるい身体を引きずって来た私は、初めて見るその光景に圧巻されて思わずこう思った。

 

コミケかよ……ッッ!!」

 

いや、本当にそうだったんですよ。


何千、いや何万もの若者が、一同に真っ黒なスーツにコートを着て、慣れもせず髪を固めて、建物へと吸い込まれていく光景は異常さまで感じる。

 

だだっ広いコンクリートの空間に笑顔でパンフを配るお兄さんお姉さん。大企業のブースには人が文字通り溢れるほど集まり、または社員がまるで「キャッチ」のように大学生を呼び込んだり、中にはブース自体を彩って社員全員がピンクのシャツを着ている所も――
(これは一社だけだったんですけど、本当にあったんですよ、しかもIT)

 

「祭か? 祭が行われてるのか!?」

 

正直そう思った。
コミケコミティアのような同人誌即売会と何ら変わらない。ただただ幾多もの企業と幾多もの大学生が、大波のように巨大なうねりを生み出していたのだ。

 

展示場を周っていると何人か見知った顔を見た。大学の同じ学科の同級生だった。それから高校の同級生にもばったり会った。彼とはあまり話したことはなかったが、そこそこ長い間会話が弾んだ。

 

本当にそれは偶然だったのだが、その「たまたま」に私は内心驚いていた。
同じ年に大学進学したとはいえ、何万何千の中からたまたま高校の同級生に会うというのは、確率的には高くはないことだったからだ。ただでさえ私の高校は院進信仰が強く、就活に進路を置く人間は普通よりも少ないのに。

 

「世間は狭い」のだと思った。

 

 

 


■売り手市場――?

その前日から諸事情があって疲労していた僕は、バン〇ムのグループ会社だけみて、たまたま来ていた友達と待ち合わせ一緒に帰ってしまった。実時間だけで言えば居た時間は二、三時間程度だ。

 

だが別の日、とあるイベントに丸一日かけて参加したことがあった。

 

これも「某」がついてしまうのだが、巨大なビルディングの中にある会場で開かれた、某合同説明会に行ったことがある。

 

午後から始まる合説の前に、一時間程度のミニセミナーがあった。それも予約制であったのだが、何となく私はそれにも行くことにしていた。

 

セミナーで話した講師は初老の男性だった。某大企業で人事をしていた経験を持ち、現在はそれを生かして就活生に話す機会を持っているのだという。最初うさんくさいなと思ったものの、話自体はとても面白くためになったのだが、その内容は省略する。

 

その話の中に、一点、私が驚いた事柄があった。

 

企業向けに人事のコンサルをしていて相談を受けることもある、という文脈。生徒も就活で大変だが人事もそうであるとあってから、

 

「中には『うちの会社になんか来てくれない』と思っている方々もたくさんあって――」

 

何気ない言葉であったが私は「ん?」と疑問を持った。

 

・それって(良い)人材を取りたくても取れない会社があるってこと?

・かなり積極的に手を振らないと(良い)新卒が入ってこない(と会社側も認識している)ってこと?

 

と思ったのだ。

 

今の私の認識で考えれば、それはまあ当然であると言えるのだが、一か月前はそんなこと思いもしなかった。

 

自慢じゃあないが我々は不景気の中生まれた「ザ・さとり世代」だ。育っていく中で、就職氷河期失われた20年(30年)という言葉は嫌というほど刷り込まれた。

 

だから無意識のうちに、就職活動とは、「新卒生が必死に自己をアピールし、それを雲の上から企業陣が良いものを順に摘んでいく」という構図を凝り固めていたのだと思う。

 

恥ずかしながら私はこの時初めて「売り手市場」という言葉を真に考えるようになった。


ただ勘違いすべきでないのは、企業の求めている新卒の質は下がっていないということである。語弊を省みず言うのなら、何でもかんでも企業が物乞いのように新卒を求めているわけではない。

この売り手市場は少子化などといった負の要因から生まれたものであるという。

「雲の上」という比喩表現は過剰としても、「新卒生が必死にアピールし」、「それを企業が良いものを摘む」という状況は変わっていない、と思う。求めている新卒の質自体は下がっていない、ということも前述の話にあった。

 

状況は別にいいわけでは、ない。

 

 


■一万円のバラマき

話を戻して件の合説。

 

ところで、私は人よりも怠惰で貧弱な人間だ。モチベーションの波が激しく一日中何もできない日もある。身体も弱く力仕事など一切合切できないし、疲れやすい。

 

だがこの合同説明会に私は半日も参加し続けた。しかも自主的に、だ(会は入退場自由であった)。

 

何故、合同説明会に自主的に参加し続けたのか。

 

ここで某新卒コンサルのカラクリがあった。

 

この合同説明会には一種の「ご褒美」があった。

 

合同説明会中スタンプラリーのようなものを同時に開いていて、様々な業種のところを回るとシールがプリントに付き、その数で「図書カード」と交換できるというものである。

 

4つで1000円だか5つ+条件で3000だかの条件があったのだが、それを省くとして問題は最大金額である。

 

様々な業種の企業を8つ、周ることで最大1万円分の図書カードが貰えるのだという。

 

「1万円……!?」

 

普通に驚く。アルバイトを普通に行い、また現在仕事に就いている人間なら、一万円という額は(図書カードといえど)決して安くないというのは想像に難くない。

八時間必死こいて肉体労働し、あるいはずっと脚の筋が痙攣を起こすまで歩き続けて作業をして、それでも一万に届かない額の金しか貰えない。

 

それを、五時間休まずであるが、様々なブースを周って自分の見識を深めながらも、時給2000円強で金が手に入る。それも貴重な生の声を訊ける業界研究である。

 

私は金銭感覚とのギャップに目眩を起こした。

 

狂ってる、と思った。

 

この会にかけられている大量のカネ。参加者も百人はゆうに越えていたから、「ご褒美」は大量に用意されている。

 

大森の片隅でイキっている井の中のカエル君には想像もつかないような巨大なカネが、就活市場に動いているのだと思った。

 

もちろん私は9種、企業を周って一万円分の図書カードを貰うことにした。
無論高額な金額であるから、図書カードは一対一の手渡しで行われる。その為に受け取りでは三人、受付についていた。

 

受付には長い列が出来ていた。受付の方ではやはり、一万円(分の図書カード)を受け取っている人が多いみたいだった。(受付の人のカードを数える声が聞こえたのだ)。

 

会場には数百人は学生がいた。

その1/3もの人数が最大金額の条件を満たしていたとして、およそ300万円。2/3人が貰った額の合計がおよそ150万円だとして、これだけで450万円
それに会場は結婚式が行われてるような高級な所だった。知らないけれど丸一日貸切となれば相当の金額がかかるだろう。それから講師の出演料にブース設置にかかる人件費も馬鹿にはできない……。

 

巨大なものに飲み込まれているような感覚。

 

私は確かにそれを感じた。

 

ただ、この一万円、さすがに高額すぎであるし、この後、このような大々的な金額は見ることはなかった。とはいえこの前も「先着○○人に2000円分のギフトカード、両日来れば3000円のギフトカードも!」みたいなことをやっていた。

こういったサービスは、いわば「馬の目の前ににんじんをぶら下げるような」ものである。学生により多くの業界を、多くの企業を見てもらうために目の前ににんじんを吊ってやるのだ。

そして悲しいかな、私自身これが無ければ9種も企業を周らなかったと思う。
ちなみに9種は本当に閉会時間ギリギリ(五時間)までかかった。8種も一切休憩を取らずに時間いっぱいを使って周る必要があり、時間に限れば甘い条件ではなかった(もちろん、社会の厳しさに比べれば38℃のチョコレート風呂に長時間つかるくらい甘いのだが)。

 

ちなみに一万円分の図書カードは、デビルマンゴールデンカムイの単行本購入に全て費やした。ばか?

 

 

 


■就活は、疲れる。

就活は、疲れる。

 

これはマジだ。

 

私が疲れやすいからということはなく、就活を行っている人達からは「体力を使う」「しんどい」という言葉を本当に多く聞く。

 

前述のビッグサイトで会った同級生も、「なんか疲れてしまう」ということを言っていた。

 

文字にすればなんでもないことなのだ。ただスーツを着て電車に乗って移動をし、和やかで甘ったるい応対とサービスの中、わざわざ来てくれた企業の方々のお話を聞く。
場合によっては映画館に行くことよりも疲れないかもしれない。そんなことだ。

 

しかし事実私は半日合説に参加した翌日、全身が筋肉痛に襲われていた。二の腕から背筋まで全身の筋肉が疲労していたのだ。

 

イベントだけではない。就活サイトを見て検索をかけるだけでも億劫だし、大量に届くメールを毎日確認していると次第にノイローゼを起こしてくる。私なんかは花粉症+春うつも患っているから大変だ。最近は暑い日と寒い日が交互にきて身体をぶっ壊されそうになる。ESを書き出す気にもならない。もう三月も下旬だというのに。

 

どうしてこんなにもエネルギーがいるのだろうと思う。使い古された言葉を使って言えば、それはやはり新しい世界(≒社会)に飛び立つ(笑)からであろう。

 

さらに言い換えれば、イニシエーション(通過儀礼)なのかもしれない。

 

現在新卒採用にまつわる、就活コンサル、SPI3とその対策本、大量のカネ、胡散臭いセミナーと駅前にいるキャッチ……、それら全てが社会というムラに属する、人の集まり(mass)から成り立っていると考えると、これはまさしくイニシエーションと言い換えてもいいかもしれない。

 

思い付きで書き出したら恐ろしい闇に足を突っ込みそうになってきたのでとりあえずこのくだりはここで、おしまいにします。

 

 

 

 


■現代の城

とある大企業グループ会社の説明会で「あるもの」を持っている学生を度々目にした。

 

それは「キャリーバッグ」を持っているスーツ姿の学生だ。

 

一目でその学生は地方から泊りがけでやってきたのだと分かった。

 

そういう人達を見るたび、私は無意識に腰が引けてしまう。それは一種の劣等感にも近かった。

 

何しろ、もし私が彼なら、彼のように高いコストを支払って関東に行けないだろうと思ってしまうからだ。まずお金に時間もあるけれど、ホテルを予約したり数社の説明会回りの計画を立てたりと、ある程度大きな計画をもってして、準備しなければならない。ぼくは大変だと思いますよ、はい。

 

 

またとある駅、これはもう面倒なので伏字を使わず市ヶ谷と言ってしまうが、市ヶ谷駅に行った時、大量のDNPという文字があるビルを見つけた。

 

DNPといえばあの大日本印刷とそのグループ会社のことである。グループ会社は冠にDNPがついて、そこから○○と会社名がつく。

 

市ヶ谷駅からしばらく歩いて、マックがある角に、急で細い坂がある。

 

肩を上下させてその坂を、上る。

 

上る、上る。

 

すると何本も立つ「DNP」の柱が見えてくるのである。高いビルの頂上近くに備えられたDNPの文字だ。市ヶ谷という町のあちこちにDNPの名前を見るのである。高層ビル付きで。

 

白状すると私はかなり恐怖した。ビビった。

 

これが大企業なのだ。印刷業界の二大トップのうちのひとつ、そして科学や広告業界にも手を伸ばす、強大な人間の集合体。

 

まるで現代の城じゃあないかと思った。

 

一つの町に居を構え、それなら市ヶ谷は城下町だ。DNPのグループ会社に入るということは、そういう巨大な「マス」に参入し、しのぎを削るということと同義なのだと確信させられた。

 

……と過剰表現してしまった。多分、この個人的感覚は、少数派なものだと思う。私のような小心者の人間にしか感じ得ないのかもしれない。

 

でも何だか、この日から私は、世間一般の大企業(とその子会社)に向かうのが、何だか気味悪く思えてしまったのだ。恐ろしい、何よりもその巨大さが恐ろしいと。

 

 

 

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↑これは鱒(ます)。

 

 

 

 


■会社という集団、マス、家族

就職というのは「新たな集団に入る」ということだといえる。

 

集団同士の結びつきが強ければ、いやそうでなくても、彼らは一種の家族のように思える。

 家族と言ってしまうとワンピースなどを想起してしまうが、いや、やはり〇〇ホールディングスはまるで白ひげ海賊団のように見えてしまう。見えない? どうでもいいか。

 

それで、大学入学もそのような節があると考えている。

 

私は大学進学に失敗した。要は第一志望に進学できなかったということなんだけれど、私はもし自分が第一志望に入学していたら、あるいは「名のある大学に属している人間」について考えることがある。

 

その時私が恐れるのは、彼らが、あるいはIFの私が「自分は〇〇(例:早稲田、慶応、東京、京都……)大学の人間なんだ!」と自分の帰属に誇りを持つことである。

 

なんで恐れるのか。それは帰属すること自体にもあるんだけど(これは長くなるので省略)、自分の考えがその団体に影響されるということがある。

もちろん団体に入門するということは、大学という集団/マス/家族に属するというメリットがあると同時に、自分の考えがマスに左右し視野が狭くなるというデメリットがあると考える。

 

実際、私は自身の視野の狭さというのを強く感じたことがある。それも大学に入学した時であるが、それは中高一貫校に長く帰属し続けたことが原因の一つであった。

 

もちろん視野を広く保とう、と自覚していればそのようなデメリットは無くなるかもしれない。

 

しかし、実際に学閥のある企業は存在する。マスに帰属し、誇り、あるいは喜びを感じてしまう、という人がありうる。

 

逆に帰属することを恐れない人も、いると思う。

 

大企業を目指す、または入ることを夢見ていた人は「一体月山は何を言っているのだろう」と首を傾げることだろう。長く一つのスポーツを続け体育会系に属している人だったり、一つの名前やグループに属し続けていた人はさらなり、だろう。

 

でもさ、

 

でかい会社/集団/マスに属して、その名前を背負っていくの、めちゃくちゃ怖くない?

 

飲み込まれるような感覚を感じない?

 

果たして、私は本当に少数派なんだろうか?

 

 

 

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↑これは鱒(ます)。

 

 

 


■巨大なものに飲み込まれる感覚

ここ一か月間ずっと、こういった記事を書きたいなと思っていたが、ようやくその機会があって、ここまで書いていけて良かったと思う。

 

就活を始めてからずっと今まで、タイトルにも書いた、ある感覚をずっと抱いていた。

 

巨大なもの、それはひとつ取るなら巨大なカネ、あるいは大量の人々やその裏に見え隠れするイニシエーションの原理、そして今までは名前すらも知らなかった巨大な存在

 

そういうのと、未だ判明していないものとが、混ざり合い合体して、「名状しがたい巨大なうねり」になっていくのだと思う。

 

恐らくこれからも私(我々)はこういった「名状しがたい巨大なうねり」に飲み込まれていくのだろう。

 

それを乗りこなすか流れに身をまかすかはまた別の話だと思う。

 

海から出るのもまた一つの手だと思う。

 

ただ私と同じような考えを持っていたり、年齢が下の就活に不安を持ってる人たちが、この記事を読んで共感してくれれば言うことはない。

 

ここまで駄文を読んでくださりありがとうございました。


でもこれは、実のところごく当たり前のことなのかもしれない。
私より年上で社会人の方々は「そんなの当たり前じゃないか。まったくケツが青いガキは困るぜ!」とこれを読んで、思っているのかもしれない。あるいは既に経験すべきこと柄だったのかも。高卒で既に働きに出て、私よりも高度な技術を身に着けてる人は「やっぱり大学出はだめだな! 俺を見ろ! 下町守ってやらねーぞ」と思ってるのかもしれない。あと俺、ちょっと頭が弱くて大量の情報を同時処理するのがもの凄く苦手だし、、、ちょっと卑屈になってしまったが、もし意見があればよろしくお願いします。はてなブログ全然やってないし、はてな村とかニュータウンとか、文化はよく分からないのですが。

 

 

日誌:20180220


できる事しかやれないので楽しい事が好きな子供は公園に行くことをやめた。『僕が遊ぶと肺が汚れてすぐに死んじゃうんだ』、子供の身体は病弱だが心は元気だった。でもそのせいで友達と遊び過ぎて、口から星を吐いて救急車。『星なんか吐く子供とは遊んじゃいけません!』この街はみんな太陽崇拝。外から同級生の声が聞こえる。『宗教上の理由で遊べないんだ』無力な子供はそういって月光崇拝。

 

日記:
・小説:午前に一時間半かけて原稿用紙九枚分書いた。
・昼にハースストーンで秘策メイジデッキでランク16までいったがキングスベインテンポミルローグにやられて泣いた。
・午後は掃除をした。それから事務作業をしようとしたが疲れて途中までやってから、明日に回す事に。この後酒の力でなんとかする。
・朝と夕方に散歩をした。結構いい。特に朝は光合成ができる。

近況20171017

 

最近は忙しくてたまらない。

 

というのは11月初旬に販売する合同同人誌の編集やら、ゲーム制作のあれこれや、さらには勉学、就活までタスクがてんこ盛りだったからだ。

 

その上、愛用のタブレット一体型PCがwindowsアップデート直後に動かなくなったのだから大変だ。

 

ブルースクリーンから起動しない彼女(!)への、三日間をもかけた決死の治療も振るわず、誤ってCドライブをフォーマットしてしまい脳死。二年間の生涯を終えた彼女を惜しみ涙を流した。

 

その後、新しいPCを用意するためにラゾーナ川崎秋葉原を奔走し(ラゾーナビックカメラはファミリー層向けだからデスクトップ置いてないし、ごみだった)、コスプレしたかわいいメイドカフェの客引きをくぐり抜けてジャンクショップをはしごするなどした。(やけに客引きに声かけられたけど、やっぱりショルダーバッグにロン毛のオタク顔だったから考えてみれば当然だろう)。

 

そういうわけでここ二週間くらいはずっと発狂していたし、鬱や妄想統合失調症と調べたら症状がかなり当てはまって恐怖を感じた)もあって、本業の小説についてはほぼほぼ触れる事が出来なかった。

 

もしかしたら上手く時間が使えてないんじゃないか? そう思って予定を立てるのにかける時間を少し増やしてみた。

 

それが、これ

 

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前々から手帳にがりがり書き込んで、予定を立てていくというスタイルは確定していた。なのだけど、実はこの一週間前に、長期的に立てていた小説の工程サイクルが早くも破綻していた。だからここでやり方を改める事にした次第。

 

第一に、とりあえず時間を書き出して、どの時間帯に作業ができるのか考えてみた。別にこの通りに動く必要はないんだが、未来をある程度可視化できているとうまく作業が進むと思う、気持ちも楽になる。

 

第二に、休みと小休みの概念を取り入れた。これは単に「丸一日休む日(極力作業はしない)」と「一日のうち半分は休む日(午後からはフリー)」という日。自分が休める日というのを確定させるというのがポイントで、これがないと常に「進捗遅れてるし作業しなきゃ……」という焦燥感に襲われるし、襲われ続けると精神を病んで死にたくなってくる。なので「この日は何もしない!」という日を決めて、逆にこれ以外の日は怠けず作業する、というメリハリがつくのである……と思われる。

 

基本的に僕は「起きている間フルで動いて進捗を進める」という日を二日間続けると、へとへとになる。三日も続けると発狂して物を壊したり、ふてくされて一日中寝続けるようになってしまう。

 

これが別種の人間となると五日間フルで活動し続けてもへっちゃらな人間がいるので面白い(いや、面白くないか)。そういう人は週末に何かゲームをしたり遊んだりするとストレスを処理することができるらしい。

 

それに比べ僕は本当に息抜きが下手で、一時期はとにかくヤケで酒を煽る以外にストレス解消法が無かった。いや、酒自体も最近はストレス解消法になってないと気付き始めた(二日酔いで丸一日潰して自己嫌悪に陥った事なんて何度もあったし)。

 

最近は煙草とか、モンハンダブルクロスをやるとか、映画(ゴッドファーザーとか)やアニメ(スクライド)とかをみてリフレッシュするとか、方法が少しずつ見えてきた。だがそれでも二日間真面目に生きると、何にもする気にならなくなってしょうがない。

 

似たような話に睡眠時間がある。ある種類の人間は一日三時間しか寝なくても次の日それなりに動く事ができるし、しかもそれを数日続ける事ができるという。僕はどちらかというと毎日寝ないとダメな人で、睡眠時間が五時間を切るとその日はパフォーマンスががくっと落ちる。

 

ただその一日少ししか眠らなくても大丈夫な人も、実はどこかで何十時間も眠らないといけない時期があるらしく、週末眠って起きたら夕方だったという場合が多いらしい。要は「行動」・「休憩」のスパンが長いか短いかの差なんだろう。

 

関係ないけど人それぞれによって睡眠の仕方が全然違うんだから、最近よくみる「良く眠るために必要な15の事」みたいな本って信用なんないよな。自分も一冊買ったんだけど、中身を見ると「ベッドのスプリングは電磁波を出すから睡眠の質を下げる」みたいな事が書いてあって絶句した。ハードカバーで安くない本だったし、買って本当に後悔した。「酒を飲んで寝るな」っておれは酒をやめらんないんだよ。

 

閑話休題。とりあえずそういうわけで、一週間細かく予定を立てて動いてみると思う。正直やりたい・やるべき事に比べて空き時間が全然足りない。小説の方もおそらくこれから一週間は時間が取れそうにないと思う。

 

電車の移動中にも色々やるべきなんだろうか、現状は通学中はスマホいじるか、MJ(麻雀のオンラインゲーム)やるか、本読むかくらいしかしてない。

 

生きるのは難しい、ので慎重に無理せず生きたいと思う。予定の話終わり。

 

 

■最近読んでる本

 

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最近は太宰週刊、ということで太宰治の本をブックオフで買い集めた。液体を零してしまって放置してしまい、品質が最悪になっているが、自分はあんまりそういう事を気にしない。

 

新潮文庫の「ヴィヨンの妻」は「親友交歓」や「父」など家族・家庭などに関連する、戦後に書かれた短編小説が収録されている。実はこの単行本の前に「晩年」(太宰の初期の小説集)を読んでいたのだが、やっぱりこちらの方が読みやすいし面白い。面白いというか、家庭・妻・子供などに対する作者の考え方というのが、一種絶望的であり虚無感を感じさせられる。

 

次は「津軽」を読む予定。自分は遅読なので読み終わるのはいつになるかわからないけど。

 

■その他

おしゃぶり梅こんぶがうまくてよく酒の肴にする。
豊洲はラーメンとか上手い食べ物屋が多くてどんどん金が消える。
MHXXいつでも暇なのでいつかフォロワー氏と参加したい。
HR98わよ。

おわり。

恐怖症のはなし

 恐怖症という言葉、あるじゃないですか。特定の事物や現象に対して、怖いと思ったり嫌悪をしめしたりする病気……というか、性格や性質を表す言葉です。
 こういうのはぼくにもいくつかあるんですが、概ね人に言っても……信じてくれないんですよ。

 

 今回はそういう、薬にも毒にもならないような話です、、、
 
 
 まず第一に有名なもので、高所恐怖症があります。考えようによっては大抵の人が高所恐怖症だといえますが、ぼくの場合は『自分が落ちそうなところ』に『今いる』という事が恐怖に繋がります。


 例えば『ベランダに身を乗り出す』とか『ものすごく狭い歩道橋』とかです。階段を降りるのも苦手で、必ず手すりを掴むようにしています。

 この前も人間と話しながら帰路についていた時に、地下鉄の階段に気付かなくて恐怖でしゃがみこんでしまった事がありまして……まあすぐ立ち上がって手すりの傍まで駆け寄りましたが、ぼくは階段をかなり集中しないと降りられないのです。


 シンガポールの観光名所にGardens by the Bayという植物園があるんですよ。あそこには上から園を一望できる空中桟橋がありまして、あれは床が鋼鉄網になっていたので貧血を引き起こしかけました。横幅が狭い歩道橋もかなり苦手で渡るのは困難を極めます。

 

www.gardensbythebay.com.sgこういうところ。かなりおすすめのスポットです。


 これが東京タワーから外を眺めるとなると楽になります(何故なら分厚いガラスは絶対割れないから)。どうやら腰より上の空間が見えていて、かつ自分の隣のゾーンが『何もなく地面まで数メートル高さがあるゾーン』だときついようなのです。例えばららぽーとみたいなところのエスカレーターとか。
 
 
 高所恐怖症はまあメジャーだけど、その他に自分の中で大きいのは嘔吐恐怖症というものです。
 説明すると自分の場合、自分が嘔吐するのに恐怖や大きな抵抗感を覚えたり、他人や漫画等の嘔吐シーンに強い印象を覚えるといったもの。


 嘔吐恐怖症というのはぼく自身の造語かもしれないと思っていたのですが、ぐぐると同じような症状の人がいるらしい(おそらくぼくより重度)事が分かりました。いわく、

  • 嘔吐の恐怖に直面した際に起こる、激しい動悸めまい・震え等。
  • 万が一体調不良によって吐き気に襲われても、恐怖心が勝って吐くことができない(無理やり我慢する)場合が多い。
  • 恐怖心が昂じると、常に「自分自身に起こる吐き気」への恐怖に囚われ、「吐いてしまうのではないか」という強迫観念から外食やげっぷができなくなったり、家での食事や外出もままならなくなることがある。
  • 恐怖を感じるのは、主に自分自身が吐き気を感じた時、家族・他人が吐いている現場を見た時、嘔吐物を見たり嗅いでしまった時など。また、文面など嘔吐を連想させるものや出来事にも極度に敏感な場合がある。
  • 予期不安を感じて、吐き気が生じる場合もある。
  • 恐怖のパターンは人によって様々で、中には「自分の嘔吐は平気だが他人の嘔吐が怖い」またはその逆、という人もいる。
  • 他人の嘔吐(指を舌の奥に入れて刺激するなどの「嘔吐反射」を含む)を停止させようと強要する。


 との事です。自分はまあ生活に支障が出るレベルではありません。


 ただ、ぼくの症状で特徴的なのは、他人や漫画等の嘔吐シーンに強い抵抗を覚えるというところです。いいかえると、キャラクターが嘔吐するシーンは全て記憶してしまいます。例えば今まで見た漫画やアニメ、映画等を分けろと命令された時、嘔吐するシーンが出てくるものと出てこないものにきっちり分類する事が出来るのです。十年以上前にテレビ放送で見た戦争映画で担架に乗った兵士が嘔吐するシーンもしっかりと覚えています(ただそれ以外が覚えていないので無為……『硫黄島からの手紙』だった気がする……)。
 そういうわけでキャラが嘔吐するシーンがあると強く記憶してしまうのですが、例外があって、サウスパークのような年中登場人物が吐いているような作品などだと結構慣れてしまって抵抗が少し薄まります。
 

 あとまあこれが不思議なのですが、赤ちゃんや小さい子供が泣いている絵が本当に苦手です。実写のクソガキが泣いてる画像はまだ大丈夫なんですがデフォルメしてある赤子や幼児のイラストが泣いているとものすごく胸がざわざわしてくる。

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こういうの

 
 なんか、まあ、そういう話でした。

日誌(2016/9/18 19:29)


 9/15、異常なほどの体調不良、身体が怠く、外では立っていられない程、気圧の急降下と少々の睡眠不足、湿度の高い天気が身体に悪く作用したのだと思う。集中力も保てない、おそらく精神の方にも悪影響がある。最近はそういう事が多かった。
 


 大森の駅前の方に行った、あそこのブックオフに用事があったからだ。人の動きが妙に目についた。音がそうではないはずなのにひどく大きく、耳障りに感じられ、混乱を感じた。ブックオフの駐輪場は何故か空いていて、いつもは満員でそんな様子を一度も観測した事無かったから自分は現実感を失った。


 
 大森駅の周辺――山王側ではない方――にはいつも何人かの老人が立っている。赤いシャツに、『違法駐輪禁止』みたいな事を書いてある黄色い布を垂れている奴ら(上手くあれを表す言葉が見つからなくて、バスケの授業の時に着たナンバーが書いてある薄い服みたいなものと形容しようとして、検索したらあれはビブスという名前らしい)

 要するに道に勝手に自転車を止める人が多かったから暇な老人を雇って配備したのだろう。彼らが曇天の下暇そうにうろうろしているのを見れば、大抵の人は心のどこかに小さい空虚感を覚えるだろう。それは言い過ぎか、すいません言い過ぎでした。
 


 兎角そういう人が配備されてから(それはもう何年も経つけれど)何が起きたかというと目の当たるところから自転車が消えた代わりに、裏通りに自転車を停めたり、用も無いのにブックオフの駐輪場に停めるようになった。もちろんその駐輪場はブックオフを利用する客のものだから、ブックオフ側からしてみれば迷惑な話だ。


 そういうわけであそこのブックオフの駐輪場はカラオケとかの利用客の為にいつも満員だったのだ。それが今日、妙にスカスカだったからおかしな話である。幾ら夏休みが終わったといっても今日は日曜日だったのに。
 


 兎に角今日は酷い一日だった。絶不調という言葉が一番合っている日だった。こういう日は素直に諦めて音楽を聴いたりぼおっとしたりするに限る。しかし〆切が迫っているものはイラストが二つに原稿と小説が一つずつ、正直進捗がかなり厳しいから無理やりにでもやっていくしかない。
 
 

日誌(2016/9/13 4:03)

 先日プールに行ってできた日焼けが、ようやく治まってきたと思ったら痒みを発するようになりました。夏の最後の最後で、もやしっこな肌からは卒業できたので良かったかなと思います。
 
 さて、製作ですが現在小説を二本、漫画を一つ、製作中です。小説の内前者はエンタメ重視なSFロボットもので、長期連載を視野に入れているので進捗はまだ3%(一万字と少々)しかありません。50%を超えたら公開していこうかと思います。後者は、別の団体に載せるもので、これは月末までに終わらさなければなりません。厳しい戦いです。
 漫画はこれも別の団体に載せるもので、11月を越えたらネットで公開できると思います。その時が来たら告知します。
 
 過去に書いたものを、公開するために加筆修正せねばならないな、と思っていても中々気が向かないものです。時間が無駄にかかるし、モチベーションも沸かない。その上気が滅入ってくる面倒な作業です。
 
 最近息抜きというか趣味でやっているのはTreeOfSaviorと麻雀の勉強くらい。白猫とリトルノアは辞めました。TOSは今アーチャーで60Lvくらい。ダンジョン周回とかでパーティー組めるようにはまだまだ早いです。正直学が始まるとまた忙しくなるのでゲームとかやっていられなくなるでしょうし、精神もどんどんと悪化していきます。留年の危機さんがドアをノックするのです。やっていきましょう。
 
 趣味はあと読書があって(これが一番大きい)読書記録付けようかなとか考えてる。感想がっつり書くのは流石にだるいので、気が向いたら手軽にできそうなのを探してみます。割と、最近は読むようにしているのです。
 
 なんか、物事をガッツリ楽しめるような人間ではなくて、上記の事をしていても「何か面白い事ないかな」とDTMやSRPG製作に手を出しそうになりますが、こういうパターンの場合絶対最後まで完了できないので、自重しています。そして少しずつフラストレーションは水位を上げる。
 
 やっていくしかありません。
 
 あと、もう一か月で20歳になりますが、やる事は変わりません。過ごしていきましょう。

自然派ママ氏が推奨する『ホメオパシー』について少しググる



 自然派ママ氏が案の定大炎上してますね。
 

togetter.com
 
 僕もちょっと前に一度読んでいて、タイトルに『ケミカルフリー』だなんて胡散臭い単語付けてるもんだから怪しいなとは思っていたんだけど案の定燃え上がった。大体ケミカルなものって何だよ、炭酸ナトリウムが入ってたらケミカルなのか? 化学工学的に量産された石鹸はケミカルじゃないのか?
 

ホメオパシーは同種療法と言われています。


たとえば、火傷だったら「熱い→冷やす」というサポートの仕方ではなくて、



熱い思いしたところに、

適度に熱さを与えることによって、

体の機能を活性化させる、

スイッチを入れてあげるという考え方です。

ameblo.jp


件の記事にある、参考にした記事を見てみると

 

火傷したところが 赤く線のようになっている程度なので

決して深刻なものではないです。

今回はレメディーじゃなくて
同種の原理 を用いた (表現が固いね )

手当てをすることにしました。


 

 ん? 同種の原理? ……おそらく同種の法則(「症状を起こすものは、その症状を取り去るものになる」という仮説)の事を言ってるんだと思う。


 少し検索かければ分かるんだけど、これはホメオパシーの提唱者ハーネマンの『仮説』で、原則だとか原理だとかの『正しいもの』という意味ではない。同種の法則はいつでも成り立つものではない、と証明されているのに、それが原則として成り立つと信じているのだからこれは間違っているというのがわかる。


 というか、彼女らは『同種の法則というのに従っていれば怪我が治る!』とでも思っているのだろうか……いや、思っているからやってるんだろうな。
 
 
 なんか、ホメオパシーというのを拡大解釈しているという印象を感じたので、とも氏の所属する日本ホメオパシー医学協会のサイトを見回ってみる。
 

jphma.orgホメオパシーとは>レメディ

http:// http://jphma.org/About_homoe/remedy.html


レメディーを摂る本人以外はレメディーに触れないようにしてください。レメディーに触れると、多少触れた指からもエネルギーが入ってしまいます。
 


 ……なんか、電波を感じて、これはヤバいやつだ、と感じてしまった。

 エネルギーとかいう単語も出てきたので半周して読み物として関心が現れますね。エネルギー、みんな感じてるー?
 
 
 もうすでに、二百年位前に提唱されたホメオパシーという治療法と、現在信仰されているホメオパシーは概念としてはほぼ別物になってしまったのだなと思った。当時はアボガドロ数とかが知られる前の時代だったし歴史的背景もあって医療行為として広まったのだけれど、今はオカルティズムや反科学主義が加わってカルトじみたものになってる。

 今回はパっと調べてみただけだけどもっと潜ればさらにヤバい思想とかが観測できるかもしれませんね。
 
 
 最後に、明大の方が啓いているサイトの紹介。

ホーム | 疑似科学とされるものの科学性評定サイト


 の一項にホメオパシーという欄があってとても参考になりました。本文にもあるけど、疑似科学ではあるが歴史的には強く影響を与えたし言説そのものが無意味だったとはいえない、との事。


 こういった背景を無視してdisってる人がまあいるわけだけれど、中途半端な科学知識でやっていくとそのうち足元を掬われて科学警察に御用になる可能性があるのでしょうね。皆さんやっていってほしいなと思いました。おわり。