月刊ブラック

備忘録+α twi:@dolly1004

【雑記】「何もしない」時間をどう過ごせばいいんだろう。

 

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電車に乗るとみんなスマホをみている。みていない人を探すのが大変なくらいだ。でもスマホが出来る前、みんなは電車で一体何をしていたんだろう? 本や雑誌を読む? それとも何もせず、鉄輪が線路を駆け抜ける音にぼんやりと耳を傾ける?

 
 終わった。

  ようやく終わった……。
 
 ここ二週間心身を擦り減らし、とある仕事に取り掛かっていました。それがようやく終わったのです。まあ卒業論文に関する事なのですが、長くなるのでここでは割愛します。
 
 さて二週間地獄の日々を過ごし、ようやく長い休暇を取る事ができるようになりました。とうとう終わったと安寧の気分で休む事にしました。
 
 ……休む?

 

 ……休むってどうやるの? 

 


■休むってなんだよ(意味不明)

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 取り敢えずハースストーンをやりました。

 

 ずっとゲームし、ゲームに疲れたら惰眠を貪り、だらだら飯をくったら酒をかっくらいながらまたゲームをします。

 

 ニコニコ動画FE封印の剣の動画を見ながら、elonaというゲームをしながら、手元のスマホリネージュ2レボリューションをやる(+酒を飲む)という驚くべきマルチタスクをしていました。
 


 卒論提出……もとい仕事終わりから一日しか経ってないのに「あれ? もう二日経った!?」と体感時間が二倍に感じました。それだけ、忙しい時間の時はずっと何かをしていて、体感速度も速くなっていたのです。

 

 
 次の日(今日)になって、少し気持ちが楽になりました。

 

 朝コーヒーを飲んで、Twitterに載ってた腹筋法をやってトレーニングして、疲れたのでベッドに横になりました。

 

「うーん……なんかスマホTwitterでも見るか」

 
 ……そういう事を思って、自分の思考に、違和感を覚えました。
 

 「何もしない」って、どうやってやるんだろう?

 

 

■「休む」ってどうやればいいのだろうか

 

 実はここまで書いていて既に疲労感を覚えてます。やっぱり自分は疲れてるんだな、と思いました。二週間全然飯食わずに、強いストレス下で家族と喧嘩になったり内定辞退をしたりと苦しい環境にいましたからね。
 
(……内定辞退については話すと長いのでまたの機会にします。一つ言える事は、来年度から僕は無職です。へけっ!)

 

 きっと休むっていうのは「自分の好きな事をする」OR「何もしないをする」という事なんだろうなと思います。(いろんな人から意見を取り入れて、ようやく分かった事でした)。

 

 僕は、実は「休む」という事がとても苦手です。どうやればいいのか分からないから。なんか好きな事をすればいいというけど、ゲームや読書というのも集中力を使うので結構疲労感を覚えます。ストレス解消の手段も酒くらいしか思いつきません。
 

 だから僕が休む方法としては「何もしないをする」方が色々と良かったりする。でもどうやってやるんだろう?

 

 ここで一番上の『電車のお話』が本筋にかかわってきます。
 


■今と昔の電車のじかん

 僕はよく電車に乗るのですが、乗客を観察してみるとスマホを見ている人ばかりな事に気付きます。電車など暇な時間はみんなスマホを見ます。きっとこれを読んでいる人もそうでしょうし、僕も例外ではありません。


 
 車内はとても不可思議な空間です。みんなが皆、小さな画面の液晶に目を凝らし、乗車中の暇な時間を潰している。

 

 本や新聞を読んでいる人も少数派ですが、それ以上に「何もしていない」人はなかなか見つかりません。

 

……


 ところで僕は小学六年生くらいから定期的に電車に乗り始めました。中学受験用に塾に通い始めたからです。

 

 僕が小学六年生というと、大体2008年くらいの頃ですね。スマホはまだ普及していなかったと思います。


 あの時の事を思い出します。あの時山手線に乗っていた頃、周りの乗客は何をしていたんだっけ? あんまり思い出せません。あの頃は確か携帯電話(二つ折りのあれ)があって、でもそればかりを見ている人は、普通ではあったけど多くはなかった(と思う)。
 

 


 もう少し昔に遡ってみましょう。1960年代とか、1970年代とか。

 言わずもがな僕は生まれていないので、想像に身を任せるしかありません。その時は携帯電話すらなくて、駅前の掲示板に待ち合わせの文言をチョークでどうのこうのって時代でした。……その頃、電車に乗ってた人は一体その間何をしていたのでしょう。

 

 通勤ラッシュの時はまあ何にもできないと思いますけど、じゃあ昼間の座席に座れるような間は? まあその頃も雑誌はあったと思いますけど、ウォークマンが発売されてすげえ! とか、たぶんそんな頃。みんなウォークマンとか聞いてたのかな。
 

 


 さらに遡ってみましょう。1900年代です。

 

 森鴎外の短編小説「有楽門」(1907)では市街電車に乗り込む人々が描かれてます。
 (「鴎外全集 第三巻」岩波書店 昭和47年より引用された……ようです。気になる方は取り寄せてはどうでしょうか。僕は大学の文学論でこれを読んだのでそのコピー紙しか持ってません……とても短い、数千字ほどの小説です)。
 
 上小説内では車内を描いた作品では無いので分かりませんが、きっと車内でタバコが吸えた時代だったのでしょう。痰壺だってあったと思います。
 


 でも当然イヤホンで音楽は聞けません。本や雑誌はもちろんありますが、おそらく外に持ち歩いて暇つぶしに読む、というものではなかったでしょう。きっと外の風景を楽しんだり、ただ路面電車の線路と車輪が軋んで揺れる音をただ聞いていたのかもしれません。それは「何もしないをしていた」とも言えるのではないでしょうか。
 
 
■きっと僕たちは「何もしない」に慣れてない。

 

 鴎外にはとんと詳しくないのですが……森鴎外の長編小説に「青年」というのがあります。

 

 僕はそれを勉強の意味も込めてちょっと前に読んでみました。感想とかは取り敢えずおいておいて、内容は、二十代の僕と同じ年代の青年の生活を色鮮やかに描写した教養小説でした。


 小説の中で主人公は、暇つぶしに散歩をしたり、家で読書をしたり、友人と論議を交わしたりしていました。
 
 100年前の青年は、何ら我々と変わりありません。

 

 ただたぶん違う部分の一つには、「何もしない」に比較的慣れていた、というところがあると思います。
 


 うまくは言えませんが、僕も「何もしない」をする事が、以前は多かったです。去年は今より少し暇だったので、たまに大学近くの公園で寝そべって、好きな音楽を聞きながら日向ぼっこをしていました。ゆっくり流れる雲を眺めるのは、結構気持ちのいい事です。

 

 ここ一年間はとても忙しくて、そういう事がほとんど出来ませんでした。もし社会人になっていたら、今からも忙しくなっているので、そういう事は出来ないでしょう(しばらくは)。
 


 ここまで書くのにとんでもなく疲れてしまいました。ここ二週間で相当に心身が付かれている事をひどく思い知らされました。もう少し暖かくなって、花粉が飛ばなくなったら、また好きな音楽を聴きながら青空を眺めたいです。


 これからは「何もしない」に慣れていき、生活に取り入れたいたいものです。

 

 

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おまけ:20160522_050743の大宮のごちゃごちゃしている商店街から見えた朝空