月刊ブラック

備忘録+α twi:@dolly1004

【雑記】数字が無くちゃ誰もみてくれない【ワナビ達に捧ぐ】

f:id:keizui_tsukiyama:20190408170317j:plain

だれもたすけてくれない。じぶんの人生をきめられるのは自分だけなのだ。

 


■人を評価するという事

 人が他人を評価するとき、一番に頼りなるものは数字である。

 

 目に見えてかつ基準が明確なものだからだ。

 

 就職活動で考えれば分かりやすいだろう。最も優秀な(最も会社に合った)人を採用するにはどうすればいいか? 100人の中から1人を選ぶにはどんな方法が効率的だろうか? 

 

 そのふるい分けに用いられるのがSPIなどの学科試験である。

 

 SPI試験の結果は必ず数字として出る。SPIの内容がどれほどまでにくだらなくて、実際の職務内容からかけ離れていたとしても、それはさほどどうでもよい。職務内容に合うかどうかはふるいに残った数人に、最終的にテストできればよいからだ。

 

 数字は大切だ。クリエイティブ職の面接にポートフォリオを持っていくとき、ポートフォリオのクオリティも重要ではあるが、最も重要なのはそのポートフォリオがどんな「数字」を生み出したか、である。

 

 PV数は? 文字数は? いいねの数は? 再生数は? クオリティはさほど問題ではない。Web小説、漫画、自作動画、ブログ、イラスト、どんなに良いものを作れても、そこに付随する数字が無くては誰も評価をしてくれない。有名なもの、つまり実績のあるものでなければ、我々は手に触れようともしない。

 

 インターネットのコンテンツだけではない、営業職では売り上げ数、研究者ではどれほどのIF(インパクトファクター)のある雑誌に論文が掲載できたか、世界中のほぼ全ての評価に、数字が関わってくる。それは、繰り返しになるが、数字というものが我々の社会に密接した概念であり、指標となり得るものだからだ。

 

数字が無くちゃ誰もみてくれないのだ。

 


■やりたい事とできる事
 
 ……と数字数字ばかり言っていると、段々と心を病んでいくに違いないだろう。

 

 僕自身、そんな事ばかり考えていると何だかつまらない人間になりそうで怖い。

 

 数字数字ばかり言わず、友達と遊んだり、何にも考えず散歩をしたりという事もすべきだ。大昔の偉い哲学者が曰く「常に中庸であるのがよい」と言ったように、一つの考えに偏るのではなく常にバランスを保つのがいいと思う。

 

 考え方が偏りすぎると軍歌を鳴らして黒塗りの車を走らせるようになるかもしれないし、ISISに入隊したりするかもしれないし、それはとてもヤバイ事だ。極度に偏ると戻れなくなるし、それはヤバイ。

 

 

 ところで数日前、某SIer事業・webメディア事業会社へ訪れた際に、お聞きした話の中で興味深いものがあった。

 

 それは就活生に向けた言葉になるのだが、簡潔にまとめると
 
 「やりたい仕事を選び、それを続けるのは偶発的な要因もあって難しいかもしれない」
 
 「だが、できる事というのは自発的に身に着けられる」
 
 「できる事を増やせば選択肢が増えるからやりたい事ができる幅が広がる」

 

 とても論理的で、就活生にとっても大切なお話だったと思う。
 ここで「やりたい/ない」はとりあえず置いといて、「できる/できない」について考えたい。
 

 

 結論から言うと「現実問題、できる事を増やしても選択肢は増えない」に尽きる。

 以下説明をしていこう。
 

 

 例えばの話、金融機関で働きたいが、選択の幅を増やすため、英語スキルを高めて外資系も狙いたい、とする。その人の現在のTOEICは380点。履歴書に載せるとかえって悪印象と呼ばれる域である。


 英語力を上げるため、英会話教室に通いTOEICの授業も受けて勉強をした。海外も行き、ある程度の会話も出来るようになった。さて、就活の時期になったとき、晴れ晴れとした気持ちで外資系の会社に面接にいった。

 

 TOEICの試験は数ヵ月後なので点数は更新されていないが、英語力は確実にあるのできっとアピールポイントにもなるだろう――結果的に、この人は英語力が「あるにはある」と思われたが不採用となった。


 何故か? 人の英語力を計る一番の方法は「数字」だからである。TOEICの点数を明示できない以上英語力は「あるかもしれない」に留まってしまうからだ。


 さらに言えば、試験が間に合ってTOEICの点数が650点に上がったとしよう。この人にとっては必死に上げた英語力の現れであり、彼/彼女はこの点数を誇りにも思っていた。

 

 しかし選択の幅を増やすために選んだ外資系大企業では(新卒採用の場合は実際分からないが)、「650点は中途半端」と思われるだろう。英語スキルは確かにある。だが応募してくる人の中には「TOEIC900点」などざらにいる。

 

 「650の人もいいけど900の人の方がいいからこっちを採用ね」とならざるを得ないだろう。

 


 もちろんTOEIC650点は、普通の会社で履歴書に書けばそこそこのアピールポイントになるだろう。内定取得率だってぐんと上がるはずだ。しかし最初の目的だった「選択の幅を増やすため、英語スキルを高めて外資系も狙いたい」は達成できなかった。
 
 この話の結論は何か? 「できる」とは、社会では0か100でしか評価されないし、「できる」を100にするのには大きなコストと時間がかかる、中途半端では「できる」と(実際できるのに)認めてもらえないという事である。
 
 


ポートフォリオが見てもらえない!

 

 さらに例を出そう。とある大メディア会社のTwitterで、youtube動画編集アルバイトの求人があったとする。

 

 これに応募しようとした月山馨瑞という男は、動画編集スキルを持ち、別名義ではニコニコ動画で50000再生取った動画を製作した事もある。

 

 だがその動画群は常識的に見せられるような内容ではなかったので、新たにポートフォリオ用の動画を製作しyoutubeにアップロードした。

 

 再生数は15程度と無いに等しいが、これは立ち上げたばかりのアカウントでは解決しようもない問題である。それに製作した動画のクオリティさえ見てもらえれば、再生数はさほど問題ない、この男はそう考えていた。


 アルバイトの結果はどうだったか? 結果は面接にすら至らず、メールでの不採用通知だけだった。

 

 原因はすぐ分かった。再生数である。

 

 おそらくは何百人も応募者がいたはずだ(募集条件の時点で学生でも難しい、フリーターのみの案件のはずだったが……)、そういった際に、採用者は全ての動画を精査する事などまるで無理である。

 

だから再生数でまずふるいにかける。ふるいにかかった人数が数十人になった所で、初めて動画を観るわけである。もちろん動画は全部観ない。精々十秒程度だろう(動画媒体の場合は飛ばして全内容を見てもらえるからまだ良心的だ)。


 もちろん僕は採用者が中身を観なかったと愚痴を言いたいわけじゃない。むしろ採用担当者はそうしないとコストが高くなってしまうから、効率的な手段を取ったまでである。
 
 つまり、こういう事である。

 

 ただできる事を増やしても、それが「できる」と認めてもらうためには数字が必要なのだ。

「できる」は、社会では0か100でしか評価されない。そういうシステムなのである。だから、現実問題、できる事を増やしても選択肢は増えない、何故なら「できる事をただ増やす事と、それを認めてもらうレベルまで高める事とは、雲泥の差がある」からである。

 


■我々が小説やブログを書くという事

 

 こういった事は当然、インターネットでのweb小説にも繋がってくる。

 

 すなわち、「貴方が(我々が)、webで作品を読んでもらうにはどうすればいいか?」


 インターネットではコンテンツが供給過剰になっている。漫画や簡単な記事なら数分で読んでもらえるからまだマシだが、web小説なんて地獄の極みだろう。買った本でさえ読む時間が無くて積んでいるのに、どうして面白いかどうかも分からないweb小説を読むのだろう?
 
 作品を公開する人間はあらゆる手段を講ずる。Twitterなどで宣伝する。宣伝にはイラストや画像を載せたり、試読用に小説の一部をアップロードする。専用のアカウントでリアルタイムでTwitterで小説をポストする。更新頻度を上げて何度でもツイートする。宣伝する。ツイートする……。
 


 全部無駄だ。
 


 上記で例を挙げた通り、根本的に認めてもらうには、数字が必要なのである。
 


 結局のところ数字が無くちゃ誰もみてくれないのだ。

 

 誰もお前の、俺の話には興味ない。読むわけがない。

 

数字が無ければ誰も見てくれないのだ。

 

 


■だから書き続ける。

 

 では我々はどうすればいいのだろうか?

 

 小説以外でもいい。我々のコンテンツを他者に見てもらったり、バズったり認めてもらったりするにはどうすればいいのだろうか?
 
 一つ、確実な方法がある。PV数など、他人の力が関わってくる数字ではなく、ただ自分だけの力で伸ばせる数字があるのだ。
 
 何か?
 
 投稿数である。
 
 数字を伸ばすたった一つの方法は「かきつづける」事である。
 

 

 ポスト数だけなら自分の力だけで増やせる。投稿頻度だけなら自分の力だけで縮める事が出来る。1つの名作より100の駄作の方が勝る。読んでもらうには、認めてもらうには、その何十倍ものスケールで書き続けなければいけないのだ。
 


 小手先の技術など役に立たない。
 ただ「大量に書き続けるしかない」のだ。

 

 

 

おわり(この事を真に理解したのが数日前でしたという話でした。遅すぎる!)

 


 あとTwitterのフォロワーとか伸ばすのもいいかもね。買うとか。