月刊ブラック

ただの備忘録+αです

就活をしていて感じる「巨大なものに飲み込まれる感覚」

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東京ビッグサイトに集まる大量の人! 人! 人!

 マ〇ナビやキャ〇タスなどといった新卒コンサルは、早くは12月から、東京ビッグサイトなどでイベントを開催している。所謂就活イベントというものである。

パーティションでブースを区切り何十社らが、純朴な大学生らに、自身の会社を「宣伝」する。そういう、イベント。

 

 所謂「合同説明会」というものである。

 

私は都内住みの就活生(19卒生)だ。私は2月のいつか、そういった某「超大規模な合同説明会」に初めて参加した。

 

12時頃、だるい身体を引きずって来た私は、初めて見るその光景に圧巻されて思わずこう思った。

 

コミケかよ……ッッ!!」

 

いや、本当にそうだったんですよ。


何千、いや何万もの若者が、一同に真っ黒なスーツにコートを着て、慣れもせず髪を固めて、建物へと吸い込まれていく光景は異常さまで感じる。

 

だだっ広いコンクリートの空間に笑顔でパンフを配るお兄さんお姉さん。大企業のブースには人が文字通り溢れるほど集まり、または社員がまるで「キャッチ」のように大学生を呼び込んだり、中にはブース自体を彩って社員全員がピンクのシャツを着ている所も――
(これは一社だけだったんですけど、本当にあったんですよ、しかもIT)

 

「祭か? 祭が行われてるのか!?」

 

正直そう思った。
コミケコミティアのような同人誌即売会と何ら変わらない。ただただ幾多もの企業と幾多もの大学生が、大波のように巨大なうねりを生み出していたのだ。

 

展示場を周っていると何人か見知った顔を見た。大学の同じ学科の同級生だった。それから高校の同級生にもばったり会った。彼とはあまり話したことはなかったが、そこそこ長い間会話が弾んだ。

 

本当にそれは偶然だったのだが、その「たまたま」に私は内心驚いていた。
同じ年に大学進学したとはいえ、何万何千の中からたまたま高校の同級生に会うというのは、確率的には高くはないことだったからだ。ただでさえ私の高校は院進信仰が強く、就活に進路を置く人間は普通よりも少ないのに。

 

「世間は狭い」のだと思った。

 

 

 


■売り手市場――?

その前日から諸事情があって疲労していた僕は、バン〇ムのグループ会社だけみて、たまたま来ていた友達と待ち合わせ一緒に帰ってしまった。実時間だけで言えば居た時間は二、三時間程度だ。

 

だが別の日、とあるイベントに丸一日かけて参加したことがあった。

 

これも「某」がついてしまうのだが、巨大なビルディングの中にある会場で開かれた、某合同説明会に行ったことがある。

 

午後から始まる合説の前に、一時間程度のミニセミナーがあった。それも予約制であったのだが、何となく私はそれにも行くことにしていた。

 

セミナーで話した講師は初老の男性だった。某大企業で人事をしていた経験を持ち、現在はそれを生かして就活生に話す機会を持っているのだという。最初うさんくさいなと思ったものの、話自体はとても面白くためになったのだが、その内容は省略する。

 

その話の中に、一点、私が驚いた事柄があった。

 

企業向けに人事のコンサルをしていて相談を受けることもある、という文脈。生徒も就活で大変だが人事もそうであるとあってから、

 

「中には『うちの会社になんか来てくれない』と思っている方々もたくさんあって――」

 

何気ない言葉であったが私は「ん?」と疑問を持った。

 

・それって(良い)人材を取りたくても取れない会社があるってこと?

・かなり積極的に手を振らないと(良い)新卒が入ってこない(と会社側も認識している)ってこと?

 

と思ったのだ。

 

今の私の認識で考えれば、それはまあ当然であると言えるのだが、一か月前はそんなこと思いもしなかった。

 

自慢じゃあないが我々は不景気の中生まれた「ザ・さとり世代」だ。育っていく中で、就職氷河期失われた20年(30年)という言葉は嫌というほど刷り込まれた。

 

だから無意識のうちに、就職活動とは、「新卒生が必死に自己をアピールし、それを雲の上から企業陣が良いものを順に摘んでいく」という構図を凝り固めていたのだと思う。

 

恥ずかしながら私はこの時初めて「売り手市場」という言葉を真に考えるようになった。


ただ勘違いすべきでないのは、企業の求めている新卒の質は下がっていないということである。語弊を省みず言うのなら、何でもかんでも企業が物乞いのように新卒を求めているわけではない。

この売り手市場は少子化などといった負の要因から生まれたものであるという。

「雲の上」という比喩表現は過剰としても、「新卒生が必死にアピールし」、「それを企業が良いものを摘む」という状況は変わっていない、と思う。求めている新卒の質自体は下がっていない、ということも前述の話にあった。

 

状況は別にいいわけでは、ない。

 

 


■一万円のバラマき

話を戻して件の合説。

 

ところで、私は人よりも怠惰で貧弱な人間だ。モチベーションの波が激しく一日中何もできない日もある。身体も弱く力仕事など一切合切できないし、疲れやすい。

 

だがこの合同説明会に私は半日も参加し続けた。しかも自主的に、だ(会は入退場自由であった)。

 

何故、合同説明会に自主的に参加し続けたのか。

 

ここで某新卒コンサルのカラクリがあった。

 

この合同説明会には一種の「ご褒美」があった。

 

合同説明会中スタンプラリーのようなものを同時に開いていて、様々な業種のところを回るとシールがプリントに付き、その数で「図書カード」と交換できるというものである。

 

4つで1000円だか5つ+条件で3000だかの条件があったのだが、それを省くとして問題は最大金額である。

 

様々な業種の企業を8つ、周ることで最大1万円分の図書カードが貰えるのだという。

 

「1万円……!?」

 

普通に驚く。アルバイトを普通に行い、また現在仕事に就いている人間なら、一万円という額は(図書カードといえど)決して安くないというのは想像に難くない。

八時間必死こいて肉体労働し、あるいはずっと脚の筋が痙攣を起こすまで歩き続けて作業をして、それでも一万に届かない額の金しか貰えない。

 

それを、五時間休まずであるが、様々なブースを周って自分の見識を深めながらも、時給2000円強で金が手に入る。それも貴重な生の声を訊ける業界研究である。

 

私は金銭感覚とのギャップに目眩を起こした。

 

狂ってる、と思った。

 

この会にかけられている大量のカネ。参加者も百人はゆうに越えていたから、「ご褒美」は大量に用意されている。

 

大森の片隅でイキっている井の中のカエル君には想像もつかないような巨大なカネが、就活市場に動いているのだと思った。

 

もちろん私は9種、企業を周って一万円分の図書カードを貰うことにした。
無論高額な金額であるから、図書カードは一対一の手渡しで行われる。その為に受け取りでは三人、受付についていた。

 

受付には長い列が出来ていた。受付の方ではやはり、一万円(分の図書カード)を受け取っている人が多いみたいだった。(受付の人のカードを数える声が聞こえたのだ)。

 

会場には数百人は学生がいた。

その1/3もの人数が最大金額の条件を満たしていたとして、およそ300万円。2/3人が貰った額の合計がおよそ150万円だとして、これだけで450万円
それに会場は結婚式が行われてるような高級な所だった。知らないけれど丸一日貸切となれば相当の金額がかかるだろう。それから講師の出演料にブース設置にかかる人件費も馬鹿にはできない……。

 

巨大なものに飲み込まれているような感覚。

 

私は確かにそれを感じた。

 

ただ、この一万円、さすがに高額すぎであるし、この後、このような大々的な金額は見ることはなかった。とはいえこの前も「先着○○人に2000円分のギフトカード、両日来れば3000円のギフトカードも!」みたいなことをやっていた。

こういったサービスは、いわば「馬の目の前ににんじんをぶら下げるような」ものである。学生により多くの業界を、多くの企業を見てもらうために目の前ににんじんを吊ってやるのだ。

そして悲しいかな、私自身これが無ければ9種も企業を周らなかったと思う。
ちなみに9種は本当に閉会時間ギリギリ(五時間)までかかった。8種も一切休憩を取らずに時間いっぱいを使って周る必要があり、時間に限れば甘い条件ではなかった(もちろん、社会の厳しさに比べれば38℃のチョコレート風呂に長時間つかるくらい甘いのだが)。

 

ちなみに一万円分の図書カードは、デビルマンゴールデンカムイの単行本購入に全て費やした。ばか?

 

 

 


■就活は、疲れる。

就活は、疲れる。

 

これはマジだ。

 

私が疲れやすいからということはなく、就活を行っている人達からは「体力を使う」「しんどい」という言葉を本当に多く聞く。

 

前述のビッグサイトで会った同級生も、「なんか疲れてしまう」ということを言っていた。

 

文字にすればなんでもないことなのだ。ただスーツを着て電車に乗って移動をし、和やかで甘ったるい応対とサービスの中、わざわざ来てくれた企業の方々のお話を聞く。
場合によっては映画館に行くことよりも疲れないかもしれない。そんなことだ。

 

しかし事実私は半日合説に参加した翌日、全身が筋肉痛に襲われていた。二の腕から背筋まで全身の筋肉が疲労していたのだ。

 

イベントだけではない。就活サイトを見て検索をかけるだけでも億劫だし、大量に届くメールを毎日確認していると次第にノイローゼを起こしてくる。私なんかは花粉症+春うつも患っているから大変だ。最近は暑い日と寒い日が交互にきて身体をぶっ壊されそうになる。ESを書き出す気にもならない。もう三月も下旬だというのに。

 

どうしてこんなにもエネルギーがいるのだろうと思う。使い古された言葉を使って言えば、それはやはり新しい世界(≒社会)に飛び立つ(笑)からであろう。

 

さらに言い換えれば、イニシエーション(通過儀礼)なのかもしれない。

 

現在新卒採用にまつわる、就活コンサル、SPI3とその対策本、大量のカネ、胡散臭いセミナーと駅前にいるキャッチ……、それら全てが社会というムラに属する、人の集まり(mass)から成り立っていると考えると、これはまさしくイニシエーションと言い換えてもいいかもしれない。

 

思い付きで書き出したら恐ろしい闇に足を突っ込みそうになってきたのでとりあえずこのくだりはここで、おしまいにします。

 

 

 

 


■現代の城

とある大企業グループ会社の説明会で「あるもの」を持っている学生を度々目にした。

 

それは「キャリーバッグ」を持っているスーツ姿の学生だ。

 

一目でその学生は地方から泊りがけでやってきたのだと分かった。

 

そういう人達を見るたび、私は無意識に腰が引けてしまう。それは一種の劣等感にも近かった。

 

何しろ、もし私が彼なら、彼のように高いコストを支払って関東に行けないだろうと思ってしまうからだ。まずお金に時間もあるけれど、ホテルを予約したり数社の説明会回りの計画を立てたりと、ある程度大きな計画をもってして、準備しなければならない。ぼくは大変だと思いますよ、はい。

 

 

またとある駅、これはもう面倒なので伏字を使わず市ヶ谷と言ってしまうが、市ヶ谷駅に行った時、大量のDNPという文字があるビルを見つけた。

 

DNPといえばあの大日本印刷とそのグループ会社のことである。グループ会社は冠にDNPがついて、そこから○○と会社名がつく。

 

市ヶ谷駅からしばらく歩いて、マックがある角に、急で細い坂がある。

 

肩を上下させてその坂を、上る。

 

上る、上る。

 

すると何本も立つ「DNP」の柱が見えてくるのである。高いビルの頂上近くに備えられたDNPの文字だ。市ヶ谷という町のあちこちにDNPの名前を見るのである。高層ビル付きで。

 

白状すると私はかなり恐怖した。ビビった。

 

これが大企業なのだ。印刷業界の二大トップのうちのひとつ、そして科学や広告業界にも手を伸ばす、強大な人間の集合体。

 

まるで現代の城じゃあないかと思った。

 

一つの町に居を構え、それなら市ヶ谷は城下町だ。DNPのグループ会社に入るということは、そういう巨大な「マス」に参入し、しのぎを削るということと同義なのだと確信させられた。

 

……と過剰表現してしまった。多分、この個人的感覚は、少数派なものだと思う。私のような小心者の人間にしか感じ得ないのかもしれない。

 

でも何だか、この日から私は、世間一般の大企業(とその子会社)に向かうのが、何だか気味悪く思えてしまったのだ。恐ろしい、何よりもその巨大さが恐ろしいと。

 

 

 

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↑これは鱒(ます)。

 

 

 

 


■会社という集団、マス、家族

就職というのは「新たな集団に入る」ということだといえる。

 

集団同士の結びつきが強ければ、いやそうでなくても、彼らは一種の家族のように思える。

 家族と言ってしまうとワンピースなどを想起してしまうが、いや、やはり〇〇ホールディングスはまるで白ひげ海賊団のように見えてしまう。見えない? どうでもいいか。

 

それで、大学入学もそのような節があると考えている。

 

私は大学進学に失敗した。要は第一志望に進学できなかったということなんだけれど、私はもし自分が第一志望に入学していたら、あるいは「名のある大学に属している人間」について考えることがある。

 

その時私が恐れるのは、彼らが、あるいはIFの私が「自分は〇〇(例:早稲田、慶応、東京、京都……)大学の人間なんだ!」と自分の帰属に誇りを持つことである。

 

なんで恐れるのか。それは帰属すること自体にもあるんだけど(これは長くなるので省略)、自分の考えがその団体に影響されるということがある。

もちろん団体に入門するということは、大学という集団/マス/家族に属するというメリットがあると同時に、自分の考えがマスに左右し視野が狭くなるというデメリットがあると考える。

 

実際、私は自身の視野の狭さというのを強く感じたことがある。それも大学に入学した時であるが、それは中高一貫校に長く帰属し続けたことが原因の一つであった。

 

もちろん視野を広く保とう、と自覚していればそのようなデメリットは無くなるかもしれない。

 

しかし、実際に学閥のある企業は存在する。マスに帰属し、誇り、あるいは喜びを感じてしまう、という人がありうる。

 

逆に帰属することを恐れない人も、いると思う。

 

大企業を目指す、または入ることを夢見ていた人は「一体月山は何を言っているのだろう」と首を傾げることだろう。長く一つのスポーツを続け体育会系に属している人だったり、一つの名前やグループに属し続けていた人はさらなり、だろう。

 

でもさ、

 

でかい会社/集団/マスに属して、その名前を背負っていくの、めちゃくちゃ怖くない?

 

飲み込まれるような感覚を感じない?

 

果たして、私は本当に少数派なんだろうか?

 

 

 

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↑これは鱒(ます)。

 

 

 


■巨大なものに飲み込まれる感覚

ここ一か月間ずっと、こういった記事を書きたいなと思っていたが、ようやくその機会があって、ここまで書いていけて良かったと思う。

 

就活を始めてからずっと今まで、タイトルにも書いた、ある感覚をずっと抱いていた。

 

巨大なもの、それはひとつ取るなら巨大なカネ、あるいは大量の人々やその裏に見え隠れするイニシエーションの原理、そして今までは名前すらも知らなかった巨大な存在

 

そういうのと、未だ判明していないものとが、混ざり合い合体して、「名状しがたい巨大なうねり」になっていくのだと思う。

 

恐らくこれからも私(我々)はこういった「名状しがたい巨大なうねり」に飲み込まれていくのだろう。

 

それを乗りこなすか流れに身をまかすかはまた別の話だと思う。

 

海から出るのもまた一つの手だと思う。

 

ただ私と同じような考えを持っていたり、年齢が下の就活に不安を持ってる人たちが、この記事を読んで共感してくれれば言うことはない。

 

ここまで駄文を読んでくださりありがとうございました。


でもこれは、実のところごく当たり前のことなのかもしれない。
私より年上で社会人の方々は「そんなの当たり前じゃないか。まったくケツが青いガキは困るぜ!」とこれを読んで、思っているのかもしれない。あるいは既に経験すべきこと柄だったのかも。高卒で既に働きに出て、私よりも高度な技術を身に着けてる人は「やっぱり大学出はだめだな! 俺を見ろ! 下町守ってやらねーぞ」と思ってるのかもしれない。あと俺、ちょっと頭が弱くて大量の情報を同時処理するのがもの凄く苦手だし、、、ちょっと卑屈になってしまったが、もし意見があればよろしくお願いします。はてなブログ全然やってないし、はてな村とかニュータウンとか、文化はよく分からないのですが。