【雑記】何故人は美少女の内臓に興奮するか?(美少女人体模型の話をうけて)
内臓、いいですよね、美味しいですよね。
もちろん、肉牛の話です。
■焼肉
僕は牛肉の部位とか種類とかさっぱり分からなくて、焼肉店なんかに行くと
「カルビ……? ハラミ……? なにそれ……?」
と常識が欠けているので、大抵注文は他人に任せてしまいます。でも最初に牛タンを焼くと油で火力が上がって良く、また好みなので出来るなら注文します。
ところで、ホルモンって旨いですけどグロいですよね。要は牛の腸や胃を焼いているわけで、牛の筋線維ではなく内臓を食べている。グロい。でも皆食ってる。
もちろん昔はもっと畜産が人々の身近にあってすなわち屠殺や解体も生活の一部となって(いた場合が多い)いました。が、現在の我々はそういうものから離れた生活をして、スーパーで肉を買う事=食べる事である人がほとんどでしょう。
即ちみんなグロいものを焼いてグロくないものにして食べてる
不思議ですね。
■美少女の人体模型とその内臓
で、何でこんな話をしたかというと。
※下サイトより画像引用
これ見たとき
『めっちゃエロいな』
と思ったんですよ、僕はね。僕はね。
ヤフーニュースでの園田氏もこのプロジェクトに言及しています。
彼の「美少女人体模型で学生が学ぶ」という言及は、個人的には非現実的で飛躍している思いますが、それを除けば、彼の考察は的を得ているように思えます。
『遠野物語』で有名な柳田國男が、「殺生の快楽は酒色の快楽の比ではなかった。罪も報いもなんでもない。」との言葉を残しています。いろいろな殺傷犯罪を見ていると、まさに人間は、殺生や猟奇的なもの、あるいは残酷なものに、本能的に感応する素質をもっていると思わざるをえません。〈美少女人体模型〉で生徒たちが「勉強する」場面を想像したときに感じた不安感も、まさにこれと同質のものでした。
たまたま僕が遠野物語について勉強をしていたので、その範囲内で言及します。
遠野物語には、人間が、人里(常界)から身近でありつつも危険な山(異界)へと「入る(這入る)」話がほとんどです。
そして、猟師は山に対して異界に対峙(ただし猟師以外では男といえどもその限りではない。むしろ里人は無力に描かれる)するのに対し、女性は山側(異界)に近く霊的な存在であるというのが、遠野物語では描かれています。
遠野物語に限った事ではなく、女性は霊的なものを持っているという物語が時代場所を問わず存在しています。巫女、贄、異界の怪物との婚姻と出産……。
■美少女から霊的な『中身』を持ち出す。
この件は取り敢えず置いといて、まず何が言いたいかというと、僕が考えたいのは『何故(一部の)人は美少女の内臓に興奮するのか?』という事なんです。
これはR18、いわゆるポルノに属する界隈では、「リョナ」という分類で結構な創作活動も行われていますよね。※無論、大抵の場合では、外界に持ち出されないよう『敷居』を作っていらっしゃいます。
その分野についての言及はともかく、我々人間の一部には、美少女(≒性愛対象)に対し暴力的・制圧的・そして『中身を向こう側からこちら側へと引き出す』、という行為に嗜好を持つ人がいます。
さて、この論理を繋げてみましょう。
美少女とは霊的な存在です。
そして、その中身は『人里に対する深山』の如く、異界的、霊的であります。
その中身を取り出して、異界のもの(美少女の中身)をこちら側(人の社会)に持ち出す。
リョナ絵というのは、もしかしたら、そういう試みの一貫なのかもしれません。
■結言
乱雑でややこしい議論(議論?)でしたが、簡単にまとめてしまうと
『美少女の内臓は(霊的で)なんかエロい』
と仮説づけられるのでは? というのが僕の結論でした。結論:美少女のゼンマイはたぶん旨い。
多分動物に対しても、こういった『中身にある霊的なもの』を取り出す儀式というのが、昔は各地であったように思われます。例えば牛の血液を大量に飲む儀式、人間に近い猿を食す儀式、胎児を食べる儀式……。それはそれとして獲った獲物を脳みそまで美味しく頂く、毛皮や骨もしっかり生活に活かすなどの文化もありますので、こういうのは混合しないほうが良いでしょう。
※この文章にある考察はあくまでテキトーに喋ってる一種の酒場談義のようなものです。文化人類学を専門としていない人間が書いた文章という事にどうかご留意下さい。
参考文献
■蛇足
居酒屋に行くとたまに注文できる食べ物に「刺しゼンマイ(センマイ)」があります。あれも見た目は中々凄まじいものです。数年前、僕が漫画研究会の後輩二人と一緒に、大学近くの居酒屋に行ったときに、このゼンマイというものを注文しました。どうやら生らしく(よく分からないが要は冷たいもの)、見たときは肝を冷やしました。何か黒い皮のようなものに毛穴がブツブツと生えたような見た目でしたから。しかしグロテスクな見た目に対しとても旨い! 僕は牛のレバー以外たいてい食べれるんですが、ゼンマイは僕の好みに近いハツとかスナギモとかに似てて、今度来たら注文しよう! と思ったくらいでした。ちなみにゼンマイとは牛の第三胃らしく、比較的さっぱりしているとの事。油に弱い僕にも安心の部位です。
私は生まれ変わったら柴犬になりたい(それから、私のここ一年の結構くらい話)
朝飯を食う時間が無くて研究室で一人カップ麺を食っている。食べきったと思ったが、ふと、机に取りこぼした長い麺を見つけたのでスープの中に入れて改めて啜った。自分でもひどく意地汚いと思った。
■ここ一年間の月山馨瑞のあらすじ
ツイッターでもごちゃごちゃ言っていたが、そういう断片的な情報を集めた、ここ一年あたりの私の近況を箇条書きする。
・ブラック研究室に入った(パワハラなど)。
・二次配属(ゼミに遅れて入ってくる成績の悪い人達)だったので引き継ぎを全く受けられないまま、実験に入った。
・ブラック研究室に拘束されながら就活突入。要求量が高いので就活が上手くいかない。
・仕事を見つけなければいけないプレッシャーと、研究室の現実とで板挟みになり、精神を壊す。
・鬱病。希死念慮がひどくなる。
・6月初旬精神科通院開始。
・二人だけ馴染みのある人がいたが、その仲間がどんどん辞めていく。
・9月まで就活がまともにできない。
・9月初旬でキレて研究室を出る。一ヶ月間就活をしまくった結果9月末に内定取得。
・大学生課など様々な所に相談したが、研究室を辞める事はできないとの事。仕方なく10月末復帰
・快復していた鬱病がひどくなりながらも、研究室に通い続ける。
・今に至る。
以下、自他ともに私の事を振り返るため、ある程度文章を書いていこうと思う。
主に研究室関連の話なので省きましたが、『とある女性にゾッコンになるが、相手はその気でなく、最終的には彼女を傷つけて連絡不通となる』というストーカー的な事もやっていたのですが、取り敢えずここでは……置いておきます……
■研究者という人間はひどく特殊だ。
何故私が、研究室を失敗してしまったのか、それがいつから始まったのか、実の所説明するのはとても難しい。ただ、誰が悪いだとか、環境が悪いだとか、そういう一つずつの小さな要因が、幾多にも絡み合って最悪の現状を作り出してしまったのだと思う。だから、取り敢えずは、私という一つの視点から見て、物事を一つずつ追っていき、その度に検証していくのがまずは手っ取り早い方法だと考えられる。
(こういう事を書くと身バレをするけれど、私はそういった物事に関心が無いのでこのまま進める)私の研究室は、修士生が一人しかいない状況だった。つまり指導・アドバイスしてくれる人がほとんどいなかったのだ(教授は指導しない)。
少なくとも私は、遅くから研究室に配属されたから文字通りそこからのスタートであった。たった1人のM2も口下手だったし、そもそも私の研究グループに属していなかった。ノウハウの継承が行われない。情報がどこに保存されているかも分からない。何をすればいいかすらも分からない。まず、どこに資料があるかさえ分からない(無論他のB4生も頼りにはならん)。
理由その1『全て一人で行わなければならなかった』
さて、この大学は小さいので准教授とか助手とかそういう人間は存在しない。研究室を監査するのはたった1人の教授だ。そして教授になろうとする人間は大抵、コミュニケーション能力ならびに社会的能力が大幅に低い、あるいは偏っているのが多い。
私の上司にあたるこの教授は、とても特殊な男だった。どう特殊かというと、
・頑固な団塊世代
・基本的に話しかけると嫌な顔をする
・基本的に要求量が多い
・パワハラ
・雑談が政治の話しかできない
・就活をさせない
・普段は教育に不熱心(なおゼミの時間は質疑応答にとても長い時間を取るので、カウンセラーからは「教育熱心な先生」と思われているようだが、それなら定期的に実験の様子を見たりだとかすべきだと思う)
・典型的な研究者タイプ
この『研究者タイプ』というのがクセものである。長くなるのでこれについてはまた今度の機会に書くが、この『研究者タイプ』の人間が私はとても不得意であった。無論唯一の古株だったM2も、この研究者タイプである。
端的に言って理由その2『人が合わない』
その他、コアタイムが一般会社のそれとほぼ変わらない事、B4の人間関係構築の崩壊によってコアタイム中誰も喋らない事、研究がクソつまらんなど、様々な要因によって『環境が悪い』研究室となってしまった。これが理由3。
■大学はもはや研究機関として崩壊している。
20世紀から21世紀にかけて大学は数を増やし、またその形態を変えていった。
端的に言えば大学は研究機関としての機能を一部失いつつある。
崩壊していると言ったほうが正しい。
教育論については専門外であるが、恥を忍んで論じる。元来大学というのは文理関わらず研究機関であった(はずだ)。入学した大学生はより高等教育、あるいは専門教育を受け、中卒者高卒者よりも高い専門性を得る事となる。特に理系学生は教授の元で、修士過程・博士過程に進み、より優れた研究者へとなる。
つまり過去の大学では、大学生は『勉強/研究する為』に入学し、その専門分野の技術で(企業・大学に)従事するのである。
だが日本という国が富むようになり、また技術発展による科学分野の細分化によって、大学進学率は増加していく事になる。
この時社会と大学との関係に綻びが生まれた。
専門性を持つ大学生が増加し人材として社会に供給されるが、社会の企業とその専門性は必ずしもマッチしない。深く狭い知識を持った大学生が多くなったからだ。
対して企業というのは水処理からコンピュータまで千差万別だから、当然噛みあう事は難しい。
大学への若者の供給は多くなる。だが大学の研究に人はたくさんいらない。
結果、企業就職を選ぶ学生が多くなる。
当然、企業側としても大学新卒採用率が高くなる。
その結果起きたのが『大学のアミューズメント化』である。――大学は研究機関から最早『就職予備校』へと変化してしまったわけだ。
研究室にいるのは研究に人生を費やした初老の団塊世代。
対してやってくるのは研究をするのに必ずしも向いていない、様々な思想・目標を持った学生達。無論、彼らのほとんどは学士で卒業する。専門分野に就ける人間はわずかだ。
大抵の場合、何年も続いている研究テーマを教授は学生に引継がせるものだ。しかし無論、研究にモチベーションのない学士では、その研究を大幅に進める事は困難である。
ある研究室の、数年間の研究進捗は学士卒がいればいるほど悪くなっていくはずだ。
知識を持ってじっくり研究を進めるベテランがいないからである。
つまりここで綻びが生じてくる。大学は研究機関であったはずなのに研究の効率は悪くなっているのだ。
これにはまた様々な理由(教授が授業を受け持っていて研究に集中できない、など)があるのだが、(不勉強だし)取り敢えずここで終わらせて、私の話に戻りたい。
自分のしたくない事をする。
自分の合わない人と生きる。
これは結構しんどい事だと思う。(こういう環境で働いてる人はすぐにその会社を辞めたほうがいいですよ、人生の無駄なので)
だが私の場合辞められなかった。私には既に500万円をやすやすと越える入学・授業費を支払っていたし、それを無為にして中退する事は出来なかった。仕事に就いて、家を出る必要もあった。
その為就活をしなければならなくなったが、研究室ではタスクの要求量が大きく、就活は上手く回らなくなってしまった。私は元来、人に怒られたくない、失望されたくないというタイプの人間だったから、性格の合わない教授に認められようと、当初は努力していた。ただでさえ、遅れて入ったのだから。
だが苦しい。
・研究室で努力しなければならない。(大学を卒業しなければならない)。
・就活を早く終わらせて仕事を決めなければならない。
・合わない人とやっていくのはとても苦しくて、厳しい。
こういった矛盾する命令を心の中に両方共抱き続ける事を心理学的な用語で『ダブルバインド』という。
こういった精神状態に陥った結果、元来鬱気質だった私は精神科に通院する事となった。
■就活は、生きがいを感じた。
それから様々あった後、私は耐え切れなくなり、教授と絶縁する事に決めた。もう顔も見たくないという状態になった。研究室から出て行ったのは9月の初め。それから一切顔を見せなくなった。
研究は苦痛の極みだった。教授は学生を評価しないし、内容は私の興味の無い事だったし、実験も単調でつまらないし、何より打ち止めになっていたのだ。研究はこれ以上進まない、どうしようもないという所になっていて、私はその最後のくだらない検証をするのみだった。だからやりがいも感じないし、何故こんな苦しい思いをタダでしているのか理不尽しか感じなかった。
しかし、就活は楽しかった。
とても苦しかったし当時は追い詰められて焦燥感でいっぱいだったが、しかし生きがいは感じていた。説明会なり面接なり、ES作製なり業界研究なり、その行為は完全に私の為にされていた事だった。その時私は、人のためではない、自分のために生きる事が出来た。
色んな人との出会いがあったし、もう研究室にはいかなくていいという希望もあった。教授に、研究室のメンバーに会わなくていいという気持ちだけで、もう十分だった。自分のために生きるのはとても楽しいと思った。
内定式直前に私はとある会社に内定をいただき、無事10月を迎える事ができた。
そして、ここから真の地獄が始まる。
■大学はムラ集合体/大学にセーフティネットは無い
内定を決めた私は取り敢えずカウンセリングに訪問した。
理由は研究室の変更をし、指導教員を変更してもらう方法を伺うためである。
結論から言うとカウンセラーはゴミだった。
私の話した内容は以下の通りである。
「私はもうあの教授と一緒にやっていくのは無理だし、パワハラは他の学生にもされている。何より既に二人研究室から学生が辞め、休学しているのがその証拠だ。内密に行われた事だが、指導教員の変更は実際に行われたという話もあるし、卒論免除だって可能だ。何故なら私は精神科に通院しているし、何なら診断書だって提出できるのだから。そういう事をするのにはどうすればいいのか、貴方を通せばいいのか、あるいは別の機関に話を通す必要があるのか。どちらにせよ、私はあの教授の元につくのは耐えられない」
それに対しカウンセラーは以下の一点張りであった。
「そう言った話を私は聞いた事がない。大学というのは、然るべき卒業認定を取らなければ卒業できないし、そこに例外は無いはずだ。だから頑張って教授とやっていくしかない。教授には私から助言をするが、強制力はない。話を聞けば彼は教育熱心な人だと思うし、上手くやっていけるはずだ。パワハラの相談室なら紹介する事ができるが、しかし卒業認定は取らなければいけないし指導教員を変える事も出来ない。そういった前例は存在しないからだ」
カウンセラーは私を頑なに研究に従事させたがっているようであった。おそらくは自分自身の職業的な立場もあるのだろう、私を頑なに説得しようとしていた
私は絶望した。
正直ほんとうに目の前が真っ暗になった。
私は被害者意識を持っていた。ある種、私は教授らに精神を壊され、精神科に通院している身だし、何より私(の親)は教育費を払っているのだ。多少の権利の主張くらい許されているものだと思っていた。だが、駄目だったのだと思う。色々と……
「」内で私は一切嘘をついていない。全て過去に起きた出来事である。だがそれは物的証拠によって示されなければいけないし、もしそれがあったとしても、私は卒業認定を軽くする事すら適わなかっただろう。それはある種、当然の事だった。
私の甘えでもあったのだと思う。
だが私は、教育機関にしては研究室はあまりにも不透明すぎる、と主張したい。
本当に大学が教育機関なのであれば、卒業研究というのは指導教員のさじ加減ではなく客観的な規範に沿って行われなければいけない。
また、本当に大学が研究機関なのであれば、就職コースと研究コースをそれぞれ設けてゼミナールを分ける必要があるだろう。(実際、入学してから一年ほど理科系の基礎を学んで、それから機械系、化学系とコースを決める学部が北大などに存在する)。
ここ一年程様々な研究室や大学の様子を見て感じた事は、研究室はそれぞれ小さなムラ社会である、という事である。村長(教授)が全てを決め、彼のさじ加減で成績が決まる。それがどんなに非社会的であっても、それを監視する機関は存在しないし、学生の我々は何にも反駁する事が出来ない。何故ならそこは閉ざされたムラなのだから。
さらにはムラ同士が(つまり教授同士が)閉ざされたコミュニテイを持っているから、学科自体の運営も閉ざされた、風通しの悪いものとなる。
■身体が壊れた。
私は研究室に復帰した。
ただただ従うのみであった。
幸い、教授の態度は軟和した。
カウンセラーから私の現在の状況(精神科通院など)、タスクを減らしてほしいとの要望が伝えられた為である。
これからは研究をして卒業論文を書かなければいけないのだ、と私は思うようになった。
だが、研究室に通うのは辛かった。
何がストレス要因になっているのか分からないのが一番辛かった。
交友関係もある程度は構築できている。人間関係は悪くない。
しかし研究室に一日中いるのはとても苦しかった。時間がひどく長く感じた。
あんまりにもストレスを感じたので身体が壊れた。
顔面の筋肉が痙攣するのは前からあった。
だが、大学にいると時折身体の痙攣が始まるようになった。
全身の筋肉がびくびくと痙攣を起こし、ひどい時は手の震えで感覚が無くなるようになった。
これは堪えた。やろうと思っているのに身体が動かなくなるのだ。
本当に私は壊れてしまったのだと思った。
しかし頭を壊され、身体も壊された環境に今も向かい続けなければならないというのはお笑い種である。
■生きがいが見つからない。
こうして、今に至る。
これが私の3月から12月までの報告である。
本当に、一年で何もかも変わってしまったと思う。
こう言ってしまうと何だが、幸い身体の痙攣は、最近無くなってきた。薬によってある程度緩和する事も出来る。だが途方もない疲労感や無力感、強いイライラはひどくなったりひどくならなかったりしている。よくわからない。
一番苦しいのはこういう事に理解者がいないという事である。私のような人間で、私と同じようにこういったブラック研究室に入った人間は、友人に誰1人も居ない。本当に、誰1人も居ないのだ。似たような環境の人はいて、ある程度みんな研究室に不満を持ってはいるが、しかし基本的に楽しくやっている。
また、私の家族は大学のゼミナールそのものに理解が無く、私の愚痴や悩みというのを理解しようとはしない。
そういう意味では、私の所属する研究室は偶然、ある種奇跡的に生まれてしまったブラック研究室なのだと思う。
また研究室が多種多様だからこそこの大学ではセーフティネットも育たなかったのかもしれない。
最近はひどく空虚で厭世的に生きている。何のために生きてるのか分からない。
小説や漫画の話をとある所から貰ったので、それを作っている時は、人生の事を忘れられて楽しい。しかしそれもまた、苦しくなってきた。結局のところ私は何も書けないのだという無力感がずっと蔓延している。抗鬱剤は飲んでいるし動けないという事は無いのだ。だからこれはそれとは別の症状だと思う。これだけは何とも耐え難い。
それで、今日考えていたのは、私は『怒り』を燃料にして生きる必要がある、という事だ。怒りを使って、あるいはそれ自体を描いて、文章なりを作っていく必要があると思う。というよりは、そうしなければ私はもう死んでしまうと思う。
こういう文章は需要が無いし、今までは書くつもりもアップロードするつもりも無かったのですが、そういうわけで自分が生きるために載せようと思います。こういうのを読んで、共感などをしてくれる人が一人でもいたら、それでいいと思うのです。もちろん、いなくてもいいです。
ないないないないないないないないない
川を行く。 多摩川編
どうもこんにちは。突然ですが僕は川が好きなので、多摩川に行ってきました。
何を言っているか分からないと思うのでまずは写真を見てください。
川~
川ですね~~
■川の魅力
改めましてどうも。
僕は日常の空いた時間に、川沿いを歩いたり植物や生態系を観察したりするのを、趣味としておる人間です。
川の何が良いかというと非日常と日常の微妙な融合にあります。
住宅地、職場、そのすぐ傍でずっと水が流れ続けている、水道から出る水量とは比べ物にならないほど、大量の水がどこからか流れてきて、我々の目の前を通りゆき、そしてまたどこかへと流れて行ってしまう。そういう日常と全く違うレベルのスケールにロマンや感慨というのを感じるのです。
■自転車で多摩川の河川敷を行く
今回は自転車で多摩川河川敷(東京側)に来ました。大田区が管理しているようで、公園というかレジャー施設というか、そういう感じでかなり綺麗に整備されています。芝も刈り揃えられてますしね。近くに団地がたくさんあるので、そこに住んでいる親子連れが各地で遊んでいたりします。テントを張って軽いピクニックを楽しんでる大連れも。
ただ草むらを少し奥に行くとブルーシートで作られた謎の住居があったり、軽バスが乗り捨てられている茂みの向こうに木造の家屋があったりと、しっかり闇の部分を持っているのが、ここ多摩川河川敷の特徴の一つといえるでしょう。
この日は土曜日だったので子供がたくさん駆け回り、あたりではテントがちらほらと建っていました、写真には写っていないんですけど。
第二京浜道路の大橋から降りて、陸側に行くと謎の建物に遭遇。水路の流路で調整する水門のようですが、今は動いてないようです。
水門がある所から水面をのぞいた写真。脇から周りこむ事でこの土の地帯に降りる事が出来ます。この前見た時は大学生数人組が、生態系調査みたいななりして釣りをしていましたね。
自転車でさらに進行、この時点でかなりへとへと。砂利道を自転車で走った事が無い方には分かりづらいでしょうが、舗装されてない道を走るのは普通より二倍くらい疲れるのです。
そしてさらにしばらく行くと野球場へ。どうやら小学校のチビッ子野球チームがあるようで、幾つものコートで野球がプレイされていました。
ここで体調を崩して橋下でダウン。日射病になりかけました。
水分補給も大切ですが、体温を下げる事も肝要です。日差しが強い日は体温調節がうまく行かず、体温が上昇しがちなので適度に休憩を取りましょう。持参する水分は工夫して冷えてる状態に保つとベスト。この日俺のはぬるっぬるだった。
ひとしきり休んだら Uターンし、自転車道から戻る事に。熱い風と冷たい風が交互に肌に当たって、とても気持ちいい。
謎の建物。
戻って京浜道路の橋の下。柱にはTHE落書きがされてます。
写真のサッカー少年が柱の印に的当てしてました。少林サッカーという映画で、主人公が何十メートルも先からサッカーボールを何度も同じ的に当てるシーンを、何故か思い出した。
橋脚から周りこんで行く。荒々しい道のすぐ横には背の高い植物が植生しております。
橋脚の裏。自然と人間。ここから川辺に行く事ができます。
川のすぐ傍。頑張ればこっから下に降りて砂浜に立つ事もできます。生き物の気配はあまり感じませんでしたね。荒川アンダーザブリッジという漫画の巻末漫画で、作者が実際に荒川に取材しに行ったらザリガニ釣りをしているホームレスに出会ったというエピソードがありますが、ここでは厳しそう。でも水鳥はけっこういるので、それに食べられる虫もある程度いる、はず。
ここから先に行くとコンクリで舗装された地帯に。数か月前に来た時よりもアップグレードされていたので、将来ここに何かの施設が建設されるのでしょうかね?
さらに進むとこちらは長年放置されたトラクターおよび船群。昔はボート乗り場だったのでしょうか。
「ドアとは一体……」と思わせるような廃墟っぷりがたまりません。やはり何かしらの施設がここにあったのでしょうね。
だだっ広い空間が広がっているので、遊びに来ている親子連れやジョギングをしている中年男性の姿が多くみられます。
「ベンチで寝ているパパ二人と退屈している子供たち」という、世界中で何億と起きているであろう光景を目撃する事もできました。
この広大な川、頭上を覆う青空。普段、液晶モニタを前にゾンビの如く仕事をしていると、こういった異世界が存在している事を忘れてしまうと思いませんか?
多摩川の特徴を一つ上げるなら、川から少し離れたらもう住宅街で、見た目が平凡、川の存在を微塵も感じられないというところにあります。
どこの道も無駄に広いという特徴がありますが、これはここら一体が工業地帯で、大型車が通りやすいよう設計されたから、ですかね。
■総括
今回多摩川に行った日は猛暑で、日差しが尋常じゃないほど強かったので危うく倒れかけました。たまたまタイミング悪く、この日は慣れていない薬を飲んでいたので吐き気も酷かったんですね。川巡りは体力がいるので体調管理には気を付けましょう。
今回は人目が多かったんであんまり探検はしなかったんですが、獣道(?)を抜けて水面ぎりぎりまで行くこともできます(滑り落ちたら最悪死ぬ)。こうすると濡れたコンクリの上を冷や冷やしながら歩いて、飛び立つ水鳥や腐ったマヨネーズの容器に遭遇するという体験もできます。
時間があってこうした探検ができたら、またこのように記事にしたいですね。そういえばチェアリングもやってみたい。自転車だと飲酒運転になるけど。終わり。
近況報告
出力100%出した次の日は、30%しか頑張れない
一日中頑張った次の日の朝、まあ今日なんだけど、私は一時間半寝坊した。
(注:これを書いたのは4/16)
目覚ましは鳴らしてたんだけどどうしても起きられなかった。「あー八時だな~~~~~~~~~~~~」と思いながら夢の中で男達が裸で踊っていた。悪夢だった。
■出力100%出した次の日は、30%しか頑張れない。
世の中を生きていると、毎日出勤してその中で残業もしている人達にえらく感心する。
どうしてそんなに頑張れるんだ、というよりはどうしてそんな事ができるんだ、と思う。
現在の職場(注:本当は会社ではないがおおよそそれに近い存在)にいると、そういう人達がたくさんいて、ほとほとうんざりする事もあった。
それで、私はずっと、そういう人達が一日中出力100%を出しているんだと思っていたけれど、どうやら違うらしい。
■みんなばれないようにサボって日々を60%で生きているらしい
「いや当たり前だろ!」みたいな事を思われるかもしれないが、私はそういうのが全然わかんなかったのです。
サボる、というと言葉が悪いし「いやサボってねえよ」と怒る人もいると思う。
言いたいのはいわゆる「普通の人々」は無意識に一日の要所要所で力を抜くことができるらしい、という事なのだ。
「無意識」というところがポイントなのです。
そういうメタメッセージをこの年まで学ぶ事ができなくて、私はそういう事をうまくやりくりする能力が欠如しているのだ。Oh...
ちなみに私は軽度のアルコール依存症で、ストレスで毎日キリン焼酎ハイボールをロング缶一本、多いときは二本飲まないとやっていけないのだが、そういう事を某懇談会で話したら「えぇーっ!?」と驚かれた。みんな毎日酒飲まないの…………よくまともな精神状態保ってられるな、、、
■解決方法
意識的にサボるしか方法はないだろう。いやマジで。
素の自分を評価してほしい、というピュア特有の考えは一切捨てて、ひたすらに自己の膨張に励むのだ。
そもそも他人は(ex:上司、教授、同級生、親、家族)は自分に、自分自身が思っているほど関心がないというのが言われている。
本当は用事がないのに、用事があるんでwって言ってサボったりするのが、この社会では肝要なのだろう。
ここまで生きてきてなぜこんな事に気づけなかったんだ……。
ぼくはもうこの社会で生きるのに疲れたよ……。
■生きるのがしんどい
つらいのは、100%出力したその次の日も、60%を求められているというところだ。
少なくとも私は、出力100%出した次の日は、30%しか頑張れない。
そういう時はどうすればいいのだろう。
(オチはなし! がんばれ!)
(おわり)
祖母が滅茶苦茶手の込んだ「オレオレ詐欺」に引っかかって720万振り込みそうになった話。
皆さんお元気ですか? 花粉も徐々に収まってきて本当に過ごしやすい季節がやってきましたね。僕の祖母は詐欺に引っかかりました。
いや、金を支払っていないので正確には詐欺未遂です。結論からいうと犯人には逃げられたので勝敗は引き分けといった形です。
ただその手順が非常に手が込んでいたので、犯罪に対する注意勧告として、また詐欺師が便所のネズミもゲロを吐くような邪悪な精神の持ち主だから、あるいは単純に話が面白いので、このエントリを書こうと思い当たりました。
ちょっと長いですが読んでくれれば幸いです。
■登場人物・場所
- 僕(月山馨瑞):ブラック研究室で日々精神を病んでいる。
- 祖母:数年前認知症の疑いがあったが最近は盛り返している。
- 祖父:最近伯父から喜寿のお祝いを貰った。
- 伯父(Y):IT関連の小さい会社で働いている。M高卒
- 詐欺師A:伯父を騙った男。
- 川島さん:そんな男はいない。
- 警備員のBさん:そんな男はいない。
- T医大:西新宿にあるという。
- M高等学校:最近卒業生の個人情報が漏れた。
※話せない所以外は真実を話しているつもりです。しかし僕は事件の場にいなくて、祖母からの又聞きで話を聞いたので、本当とは異なる部分があるかもしれません。ご了承ください。
※ただ話はマジで盛ってないです。
■4/12日 午後
午後一時から二時くらいに、実家に電話がかかってくる。
祖母、電話に出る。
詐欺師A「もしもし、Yだけど」
祖母「どうしたの?」
A「今T医大で検査を終えたんだけど、喉のところにポリープが出来てるみたいなんだ。もしかしたら入院して切除しなければいけないかもしれない」
祖母「声が出なくなっちゃうかもしれないの?」
A「そうかもしれない」
という報告を交えた会話をして、「それじゃあ」とAは切ったとのことです。
祖母は自分の息子がガンになったりしたらどうしようと心配になったとのことです。
皆様、ここで「実は医療費に700万かかるんだ……」というAの電話がやってくると思うじゃないですか?
ちげえんだよ!
それからしばらくしてまた電話(たぶん、非通知)
祖母「どちら様ですか?」
A「Yだよ。あんまりにも動揺してしまって、トイレに行った時に携帯電話と財布を失くしてしまったんだ」
祖母「Oh...」
A「それでさっき警備員さんに言ってみたら『一応警察に行った方がいいよ』と言われたんだ。警備員さんはBさんといって、そっちの電話番号も伝えたから、携帯電話か財布が届いたら電話が来るかもしれない」
祖母「分かったわ」
それでまた電話が切れたといいます。それからまた数分(あるいは数十分)経ったときに、また別の電話がかかってきました。
B「どうも。先ほどYさんとお話しした警備員のBと申します」
祖母「どうもすみません。息子がお世話になっております」
B「財布だけは届いたんですよ。ただ財布には小銭しか入ってなくて、カードや紙幣は一切盗まれたみたいなんです」
祖母「困ったわね」
B「Yさんがまたお電話したらお伝えください」
という通話があったというのです。
皆様、ここで詐欺師Aから電話がかかってきて「クレジットカードからお金が全部盗られた。今すぐ700万いるのに払えない! 助けて!」と泣き言を言ってくると思うじゃないですか?
まだ違う!!
またAから電話。
A「お袋、実は困った事が起きたんだ」
祖母「まだ何かあったの!?」
A「近くに会社の決済日が来るんだけど、財布の中にカード(?)が入っていて、それが必要なのに無くなって、金を払わなきゃいけないのにごたごたがあって720万円足りないんだ」
(祖母は「カード」「ごたごた」と表現しましたが、本当はAが細かくて複雑な話をしていて、ただ単に祖母がそれを理解できなかっただけの可能性が非常に高いです。古い、人間だから、、、)
祖母「そんな!!」
A「本当にどうしたらいいんだ。もしかしたら頼むかもしれない」
祖母「分かった。一応何とかしてみる」
そういう会話があったので祖母は急いで銀行までいって720万円を用意したというのです。(振込は出来なかったのでこの時三時は過ぎていたと思います)
皆様、ここで詐欺師Aから口座番号を教えられて「明日中にお金を受け取りに行くから用意してくれ」という展開が始まると思うじゃないですか。
うーん、甘い!!
またAから電話(この時点で木曜の夜)
A「Yだけど。どうやらお金の問題は大丈夫みたいだ。川島さんがお母様かお兄様に頼んでくれるみたい」
祖母「川島さんって?」
A「俺の上役だよ。社長が『川島さんのお母様かお兄様に都合付けてくれない?』と言ったみたいだ。お母様の方には警察がもうすでに来ていたけど、お兄さんの方は大丈夫みたいだった」
祖母「それは良かったねえ」
A「ところでお金は卸したりしたの?」
祖母「用意したよ」
A「そう。多分大丈夫だとは思うけど。だけどまだごたごたしていて支払いしなきゃいけないかもしれない。詳しい話はまた明日話すよ」
祖母「でも私朝から病院に行かなくちゃいけなくて、家に帰ってくるのはお昼ごろになると思う」
A「分かった。じゃあその時にまた電話する」
そうして木曜日の夜が終わりました。ちなみにこの時僕はゼミナールで遅くまで大学にいたので、この話を聞くことはありませんでした。
■4/13 金曜日 朝
僕(酒とポテチのせいで胃焼けがひでえ……飯少しだけでも食うか)
祖母「ねえ、西新宿ってどこか分かる?」
僕「知らねぇよ。新宿駅の近くなんじゃない?」
祖母「昔はこんなに路線無かったのにねえ。今は多すぎてわかんないよ」
僕「駅員にきけゃーいいんだよ」
そういった会話のあと僕は大学に出勤して、祖母は近くの病院に行きました。
ですがここで予想外の事が起きました。その日、祖母のかかりつけの病院は混んでいたせいで帰宅が一時くらいまで遅れ込んだというのです。
それが偶然、功を奏しました。
■4/13 金曜日 午後
祖母「お父さん(祖父)、Yから電話がかかってきた?」
祖父「かかってきたけどさ」
祖母「なに?
祖父「あれ、Yじゃないよ! 偽物だよ!!」
祖母「?????」
祖父「Yじゃないよ!!」
と、祖父が気付き、ここで祖母も怪しみ始め、本当にYなのか色々聞いてみようと思ったらしい、そこで警察に電話をしたようです。
すぐに複数人の警察の人がやってきて、様々な準備をしたようです。例えるなら、警察24時のオレオレ詐欺を捕まえろ! コーナーとほぼ同じ事が起きました。
それめっちゃ見たかったな……
警察の方々にAが話した内容について話し、「できれば逮捕したいのでご協力願えませんか?」という事があってぜひ協力しました。そこに、電話がやってきて、祖母は警察と協力しながらAと通話しました。
A「お金預けちゃった?」
祖母「アルヨ、手元ニ」
A「明日か明後日に受け取りに行きたいんだ。空いてる?」
祖母「イケルヨ。Yダケデ来ルノ?」
A「いや、川島さんと二人で会いに行くよ」
祖母「本当ニ一緒ニ行クノネ?」
A「うん。二人で行くってば」
祖母「本当に本当に二人で来るんだねッッ!!?」
A「はい」
■4/16 月曜日 夜
祖母「だからね。私何度も聞いてやったんだよ! Yは本当に来るの?って」
僕「そうだ、って言ってもAは、当日なんだかんだ理由を付けて来ないでしょ。っていうか、何度もそんな事訊くから逃げられるんだよ……」
祖母「でもその時は完全に私、怪しんでたからね」
僕「怪しんでなかっただろ。俺が怒るまで未だ半信半疑だっただろ」
(注 金曜の夜この話を聞いた僕は「ちゃんと怪しめ」「その時点でおかしいだろ」とかなり釘を刺していたのです)
祖父「お前、警察が来ても未だ信じてたばっかだっただろ。俺は最初から気付いてたもんね」
(注 祖父はよくこういうマウントを取る事を言う)
■4/13 金曜日 午後五時
それで、Aとの通話は終わりました。「明日電話が来たら我々の電話(専用の電話番号を祖母に教えた)に連絡してください。行きますから。明日は外には出ないでください。警察を騙る人物が家に来ても注意してください」と警察の方が言い、五時くらいになって帰る準備をし始めました。
と、ここで祖母はある事に思い当たります。帰る前に警察に祖母は言いました。
祖母「あの、Yの携帯電話に連絡したほうがよろしいでしょうか?」
実は一度祖母は伯父の携帯電話に連絡したといいます。その時は出なかったみたいですが、「あんまり電話をしても携帯電話に私(祖母)の名前が出るから気付かれるかもしれない」と思って電話をしないようにしていたようです(?)
■4/16 月曜日 夜
僕「ん? それっておかしくない? だって『携帯電話をトイレで失くした』って話は詐欺師の嘘だったんでしょ?」
祖母「うん。でも携帯電話に名前が出るとまずいとその時思ったから……」
僕「いやいや。だからAの電話が本当に伯父さんなら、確かに電話をかけたらまずいかもしれないよ? でも詐欺師ってもう検討がついてるわけだから携帯電話に電話をかけるって事にデメリットはないわけでしょ?」
祖母「そうね」
僕「信じてたんじゃん! 詐欺師の事信じてたんじゃん!
祖母「混乱してたんだよ
僕「信じてたんじゃん!! 信じてたんじゃん!!」
■4/13 金曜日 午後五時
話を戻すと、警察が帰る直前に、祖母は「Y(伯父)に電話した方がいいですかね?」と言ったそうです。「それはかけるべきです」とあったので電話したところ、なんと一発で出たというのです。
伯父「なに? どうしたの?」
祖母「アンタ! 今まで大変な事が起きてるんでしょ? 喉にポリープ出来て、病院のトイレで携帯電話と財布を落として、財布の中身全部抜かれて、会社の決済日にお金が足りなくて、川島さんが何とかしてくれるって一時は安心したけどやっぱりお金が足りなくて明日川島さんと二人で受取に来るんでしょ!?」
伯父「…………」
伯父「それオレオレ詐欺だよッッ!!!!!!」
というわけで完全に詐欺であったと分かったわけです。
■後日談
後日談ですが、このあと僕が帰宅して、詐欺の話を聞いて怒りました。
それから土曜日と日曜日、電話を待ったのですが来なく、月曜日警察の方々がいらっしゃってくださいました。話を聞いて、一時まで待ったのですが結局Aからの電話は来ませんでした。
それで、まあ取り逃してしまった、という結果になりました。
もちろん警察の方々の力不足という事では一切ありません。それに、おそらくは住所もバレていましたから、家の様子を観られていたという可能性も十分にありえます。被害妄想かな?
でも伯父の話によればM高(伯父の卒業高校)の卒業生名簿(あるいはそれに似通ったもの)が近頃流出したといいます。実際彼の同級生も同様の詐欺にあったそうです。それに伯父の名を騙った詐欺は数年前にもありました。
■なぜ祖母は騙されたのか?
数年前の詐欺の時はすぐに分かって、このような事態にはなりませんでした。
しかし、そのような体験をしていたのにも関わらず、なぜ祖母は騙されてしまったのでしょうか。
それこそが、僕が最も邪悪であると思った原因です。
詐欺師Aのふるまいは、実際がばがばでした。「生年月日を言ってみて?」と言ったらAは伯父のを答えられたのですが、「父(祖父)の年齢は?」といったところ「80くらいだったかな」と言いました。
これはおかしくて、伯父はつい最近、祖父に喜寿のお祝いを送っていたのです。喜寿と言うのは77歳の事を言いますから、伯父がその事を知らないのは完全におかしい。
でも祖母は「おかしいな」と思いつつも冷静に判断できませんでした。
それは、一重に混乱していたからです。
祖母は「Yが重病にかかって声が出ない、さらには死んでしまうかもしれない」という情報を一番最初に聞かされました。その時点で、祖母はひどく動揺させられてしまったのです。
さらにはトイレで財布や携帯電話を失くしてしまった、金を盗られたなど、一見詐欺の本質には関係ない情報を祖母に与えていました。このせいで祖母は正常な判断が出来なくなっていたと考えます。
恐ろしいほどの邪悪な精神だ。全くもって許しがたい行為である。
弱者の心をひどい虚構でずたずたに切り裂くのも酷いが、最悪なのは命や生活に関わるような病気をダシにした事です。それは、本当にそういった病気を持つ患者に対する侮辱であると、僕は考えます。
本当に、許せない。
まあ金曜の夜にこの話を聞いた時、僕は「何だよ明日大学に用事あるじゃん! 用事無かったら明日一日中家にいて、警察24時を目の前で見る事ができるし取材にもなるのに!」とヤジウマ根性全開だったんですけどね。
(詐欺未遂と最初からわかっていて笑い話にできたので、許してください)
■再発防止のために
NHKの夕方のニュースに「ストップ詐欺被害!私はだまされない」というコーナーがあります。このコーナーはこれまであった詐欺被害などを紹介して気を付けてください! と情報を流すのです。結構タメになるのだが、「こういうのを聞いて気が付ける人間はそもそも詐欺に会わないんだよなあ」とも思ってしまいます。
もちろん、このコーナー自体はとても有意義です。特に、自分の身の回りにこういった出来事があってからは、さらにそう思う。
面白いのは「詐欺警報」というものです。これは東京23区に天気予報のように、「詐欺警報」を出すミニコーナーで、例えば「北区や品川区で詐欺が多発しているので気を付けてください!」と言ったりするんです。
一見「何だよこれ、本当にこんなの起きてるわけ?」と思っちゃうんですが、根本的でないにしろ効果的な詐欺対策と言えるでしょう。
何故なら品川区でオレオレ詐欺を計画している犯罪グループは、NHKでそんな事を言われてしまえば、絶対に品川区での詐欺計画を延長せざるを得ないからです。万が一にもターゲットがそういったニュースを見ていて、「気を付けよう」と思っていれば、警察に連絡されて逆に捕まってしまう可能性も高くなってしまう。確かに、ニュース番組の占いコーナーみたいに科学的根拠が無さそうですが、詐欺対策として評価できると僕は考えます。
ちょっと脱線したけれど、詐欺にあう人は、やっぱり詐欺にあうというのが悲しい所です。じゃあどうするのかというわけですが、この事件を後から知った僕は一点、祖母にはっきり怒った事があります。
「どうして俺に連絡してくれなかったわけ!?」
この言葉に尽きます。もし僕や家族に連絡してくれれば、「もしかしたら怪しんだ方がいいんじゃない?」という事ができるわけです。自分自身が冷静でなくても、誰かに話す事で冷静になれたり、怪しんだりすることができると思うのです。
僕はともかく、これは四十代・五十代で、高齢の親をもつ人達にも言える事だと思います。その人自体が、いくら詐欺対策について知っていたとしても、詐欺師は巧妙で邪悪な方法でその人を騙すわけです。そういった場合に、兎にも角にも誰かに相談できる環境を作る事が、最も肝要であると僕は思いました。
まあ気軽に、おっくうでも父親や母親に「詐欺っぽい電話があったらまず私に電話して」と言ってみたらどうでしょうか。
別に正義の為だとか老人を守ろうだとか、そういう精神はあんまり僕には無いです。それから老人は金を溜め込んでるから経済的にも金を抜き出すのがいいんだ、というのも、僕には否定できません。
実際僕は祖父祖母らの貯金の額に「俺に半分くれよッ!」と思ったくらいです(おそらく彼らの世代自体が、貯金に重きを置く思想を持っていると思われます)。高齢者がもっと消費できる環境になればいい、と僕は思っています。
この文章を書いた理由としては、単純に僕が彼ら詐欺師を『極悪人』だと思ったからです。そして、彼らがオイシイ思いをするのは、なんか悔しい。
僕の気持ちはこれで以上です。